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私が見たネットの記事に出ていた、寿命などのデータは令和になってからのものだと思われるが、すべてが同じ年度ではない可能性がある。それを承知の上で年度が合っているかのように比較参照しているのだが、実際と違ってはいてもそんなにかけ離れていないだろうから自分の状況把握に大きな影響はないと思ってそうしている。
私は80歳は超えている男性なのだが、5歳置きに記載されている平均余命表に出ている最も近い年齢の80歳のデータをそのまま自分のものということにすれば、私の平均余命は9.42年である。平均寿命は81.64歳、平均健康寿命は72.14歳だから、平均的には91.06歳で死亡することになる。健康寿命の余命データは見当たらないのでどこまで伸ばせるかは分からないが、いまの私は健康寿命更新中である。
それと同時にネットで見つけた記事に、何歳までにどれくらい死んでいるかということを示す死亡率のグラフもあった。その死亡率のグラフに平均寿命と私の平均的と思われる死亡年齢の印を記入してみた。平均的な死亡年齢と思われる年齢まで私が生きていたとするとその年齢に至るまでに同じ生まれ年のひとの9割は亡くなっているようである。
また、最近見たネット記事に人生の体感時間の紹介が出ていて、それによると歳を取ると未経験のことが減るからその分時間を短く感じるというもので、ある年齢(整数n>0)ではその年の体感時間は(1/n)だそうである。いまの年齢(N)までの人生全体の体感時間は各年齢(整数1~N)時の体感時間の総和ということである。例えば100歳のひとならそれまでの人生全体の体感時間は、
1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + …… + 1/99 + 1/100 となるそうである。
そこで私の平均死亡年齢を90歳として計算してみたら、人生全体の体感時間はそれまでの90年間が5.0825年、90歳時のその年は0.01111年の体感時間になるらしい。そして90歳で死ぬとするといま80歳なら、既に97.7%体感的には人生が過ぎてしまっていることになる。ちなみに80歳のいまの年の体感時間は0.0125年、40歳のときは0.025年だから、いまは40歳当時の2倍の速さで人生が過ぎて行っていることになるらしい。
補足1: 死は存在しない_そういう本を読んでみた
「死は存在しない~最先端量子科学が示す新たな仮説~」
(田坂広志著・光文社新書)という本を読んだ。ゼロポイントフィールド仮説から肉体は死んでも意識は宇宙に記憶されるので死は存在しないということらしい。仮説からこう考えるということがいろいろ述べられているのだが、私としては、そう思っていまをよく生きよということだという理解にとどまった感じである。
(「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、われわれの意識の記憶が死後も存続している可能性を示唆する仮説で、この宇宙のすべての場所に遍在する量子真空の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれるエネルギー場が存在し、その場にこの宇宙の過去・現在・未来のすべての出来事が、「波動」として「ホログラム的な構造」で記録されているという仮説。量子物理学の知見からそういうことが考えられるらしい。)
補足2: 本当の健康寿命_男性82歳、女性85歳
2023.04.19
和田
秀樹氏のネット記事にある調査によると、65歳での男性の平均余命は18.9年でそのうち自立している期間が17.2年、自立できなくなった期間が1.6年でした。女性の場合は平均余命が24.0年、自立している期間が20.5年、自立できなくなった期間が3.4年と出ていた。つまり、男性は82.2歳まで、女性は85.5歳までは、介護の必要もなく健康でいられるということらしい。氏は「本当の健康寿命」は「男性82歳、女性85歳」ではないかと言っているようである。
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