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以下元気なひとから見れば、挫けず何とかこれからを生きて行くべき決意を持たなければいけないのに、何を泣き言を言っているのだというはなしかも知れない。
私は高齢になって来ていまは平均寿命は超えて平均余命も10年もない。そして体調が悪くなったり訳の分からない痛みが続いたりすると、つまり何らかの辛さが続いたりすると残り少ない人生あるいは死について考えることが多くなった。そしていまの私は体重減少が続きなかなか改善されない体調不良に悩まされている。
私の望みとしては、残りの人生をいわゆる身体の不調から来る苦痛をなるべく感じないで最期を迎えられたらよいなということである。いわゆる切った貼ったの類にはもう体力的に耐えて生きながらえることは無理だと考えているから、多分これからのいずれかのとき緩和ケアみたいなものを受けながら最期を迎えることになると思われる。私はその最期に至るまでのプロセスに関心がある。全ての苦痛が最期に繋がっているとは限らないが、その辛さに耐えながら残りの人生あるいは死について考えが向いてしまうのだが、考えるその中身のほとんどは自分がこれから来る状況に上手く対応して行けるかということである。
まず最初は体調が悪くて医者にかかって薬や切った貼ったでない対処法で治ればいいのだが、それでも薬の影響がどのように続くのか検査や診察がどういう手順で進むのかなど体調の悪さへの対処を含め知りたいし、症状から考えられる今後の経過と今後どういう風にやって行けばよいのかあるいはどういう風にしてもらえるのか教えてもらいたいと思っている。私は体調の悪さあるいは辛さに耐性が低いのかも知れない、そして経験した者しか分からないその情報が少ないのかも知れないが、辛さについての具体例すなわちどういう経過をとるか分るとよいなという思いが強いのである。
動くのがいまでも辛い。それが日常生活に支障が出るくらいになった場合どのような支援が受けられるのか。まず気になるのは医療体制と食事である。毎回病気に適応した食事を考え作るのが負担になる。そして居住環境の維持管理である。家屋に修理が必要なら大工さんに修理してもらわなければならない。庭の植木や芝生のメンテナンスもしなければぼうぼうになる。
以上は言えば伝わりやすい内容だが、その他明確に列挙出来ない漠然とした気になることはいろいろある。具体化して手を打った事柄もあるが、気になっていることを伝え具体化の段階まで持って行くのはかなり難しい。そしてどう聞けば的確な答えが得られるのかなかなか分からない。こういうことが気になっていると相手を見ながら言っているつもりなのだが、その聞いている意図が通じないことがある。私の性格やコミュニケーション能力が低いのが原因だとは分かっているのだが、自分が最期までをどう生きて行けるのか、そしてそのためにどういう準備が出来るのかということについて見通せるような情報がなかなか得られない。成るようにしかならないということなのかも知れないが、そういうことを気にせず落ち着いて毎日を過ごせるようになりたい。
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