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  偏見ご免のたわごと編:  No.351
病との付き合い方_シャカリキに治そうとしない  2025.01.06
  私は72歳のときを最後にして人間ドックの受診を止めた。病気になったら体力を奪われるような手術などは受けず苦痛を軽減する対処でよい。死に至る病になってもそのときはそのとき、苦痛を軽減しながら病は成り行きに任せることにしようと思ってのことである。こう言うと達観しているように聞こえるかもしれないが、私は気弱な性格だから強がりを言っていたということになるのが実際の結末かも知れない。だが願わくはそういう姿勢を貫ければと思っているわけである。

そんな気持ちで過ごしているわけだが、昨年12月下旬見たネットで『75歳を過ぎたら「一つくらい病気持ち」が案外いい』という記事を見た。90歳の現役医師の書いた本の紹介のような記事である。2017年寿命が延びている状況に対応して日本老年学会・日本老年医学会は、65~74歳は准高齢者、75~89歳は高齢者、90歳以上は超高齢者という区分を提言しているが、その75歳以上の高齢者を対象とした研究は少ない。照らすべき指標はなく人によって個人差も大きい。だからいままでのような高齢者感を捨て新たな発想で考えていくことが必要だということである。

そして病気に対する考え方も説いているのだが、高齢になれば体の働きが衰えるのは当たり前だし病気になるのも当たり前。それを嘆いたりどうにかしようと抗ったりしても仕方ない。衰えていく体とどう向き合っていけばいいのか。高齢になればすべての臓器が衰える。それぞれの臓器はそれだけで独立して働いているわけではなく、関連し合っているため、どこか一つに衰えや障害が生じると、連鎖反応のようにほかの機能も低下してしまうということが起こる。だから、高齢者は若いころのように一つ一つの臓器ごと病気ごとに考えてはいけない。そのときどきで実現可能なQOLの最大化のために全身的最適調和を考えよということのようである。

75歳を過ぎたら、病気があるかないかよりもQOLあるいは機能障害の有無が重要だ。つまり機能が衰えたとしても人間らしい生活が出来るか出来ないかが重要である。だから出来ない原因になっている病気があるならば治すことも考えるべきだが、その目的は機能が元に戻るか改善するかであって、病気を治すことが目的にすることはないということである。病気があるかないかで考えてしまうとどうしても視野が狭くる。病気があっても機能を保てていればいいと思えばよいのだということである。

私はこの記事を見て、自分が思っているいまの病との付き合い方についての考え方が似ているなと思ったわけである。私としては苦痛なく過ごせるくらいに病と付き合いシャカリキに何か一つの病を治そうと思わないで生きて行くくという姿勢でよいという後ろ盾を得た感じがしたわけである。私はその方がこれからの人生をなるべく楽しく生きられる時間が多くなると確信出来たわけである。


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