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  偏見ご免のたわごと編:  No.320
高齢者は個々の差が大きい_自分がなって分かる  2024.08.05
  高齢者と言われる身になって久しいが、自分では高齢であるという意識はあまりしないで過ごしていたのだが、運転免許の更新で認知機能検査をされるようになったり健康保険が後期高齢者医療保険になって、具体的にお前は周りに迷惑をかけるかも知れない高齢者なのだと国家レベルで言われているみたいになると、嫌でも自分は高齢者だと意識して過ごさないではいられない。

高齢者とは年齢による区分だが、個々の高齢者のあり様はそれぞれ異なる。ひとは高齢になるほど個々間の身体能力あるいは認知機能の差が大きくなる傾向にあると言われている。だから例えば認知機能を検査して他人などに危害を及ぼしそうな人間の運転を制限しようとするのは、私はいまのやり方に疑問を持っているが高齢者個々の差を認めて対応方法を考えようとするところは評価すべきであると思っている。

そしてまたそういう他人に害を及ぼす可能性が大きい事柄について高齢者の個々の差を考慮して考えることは評価すべきであるというはなしとは別に、私は高齢者本人が被害を被りそうなことについても高齢者とそうでない者との差とか高齢者個々の差を考慮して取り扱った方がよい例がいろいあるのではないかと気になっている。

例えば薬についてだが痩せてしまったからか体質が変わったのか知らないが、私は薬に敏感で合わない薬に結構出会って来た。合わない場合は変えてもらうしかないのだが、以前大丈夫だったのにその後合わないものもあったから合う薬でも高齢者個々によりその適量が異なるのではないかという疑問を持っている。そして薬に限らず大人と小人以外にもデブや痩せあるいは体力・能力あるいは環境などその他個々人の事情を考慮して取り扱わなければ影響が出そうな事柄が検証されることなく固定観念で仕切られていることは結構あるのではないかと気になったりしているわけである。

高齢になるに従い高齢者個々の体力や機能の差が大きくなるならば、何事につけ個々の差に応じた取り扱いが必要だと思うのだが、高齢者の扱い方について個々の差を検討あるいは研究し実証されたやり方がとられているかどうか気になっている。高齢者でない人間が基準などを定めているならば高齢者の多様な実態を反映した確固たる検討や研究あるいはその実証データに基づいているのかどうか気になっている。

そしてまた、高齢者について生き方などデータ分析に馴染みそうにない事柄についてまだ自分より若いひとが言う意見あるいは見解の自分に即した当否をどう見極めるべきかと悩ましく思っている。まだ高齢者の身体能力の多様さの実際を知らない元気なあるいは若い人間の固定観念で仕切られてそれが的外れだったりすると高齢者の一人である私としてはそれに悩ましさを感じることもあるわけである。


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