No.64
軟弱者の言い分のこと (H13.08.13)
最近屋久町の図書室で借りた本に面白いものがあった。「軟弱者の言い分」(小谷野敦著・昌文社)というエッセイ集である。私は軟弱者だから題に引かれて借りてきた。
この本の面白いところは、まず始めに(目次の前に)「軟弱者の言い分-----まえがきにかえて」という文があり、それがそれ以降の目次や本文と思われる部分より活字が大きいことである。私が眼鏡をかけなくても読める。それ以降は眼鏡がいる。
著者の意向か編集者の意向か知らないが、この本は前書きのような6ページ分が本文であとの300ページはつけたしだ、前書きのようなものを本にしたくてこの本を作ったという感じがある。実際前書きのようなものはとても面白いが活字の小さい本文のような部分は面白さがやや落ちる。
それが分かっているからこんな体裁の本を作ったのだなと思うと、著者や編集者の思いがしのばれてそれが面白いというわけである。
世の中をしきっているのは「丈夫な奴ら」である。奴らは自分が丈夫なのだという自覚がない。「奴ら」のヘトヘトは「軟弱もの」のヘトヘトと違うことが分からない。そして「丈夫な奴ら」の論理を振り回す。著者の叫びはこうである。 [別役実の『天才バカボンのパパなのだ』という芝居では、一人だけまともな人物が、周り中バカに囲まれて、声をふりしぼるようにして「いいか、お前らはなあ、バカなんだぞおっ」という場面があるが、私も言いたい。お前らはな、頑丈なんだぞおっ、と。]
私がもう一つ面白いと思ったのは著者が、周り中バカに囲まれて、声をふりしぼるようにして「いいか、お前らはなあ、バカなんだぞおっ」と、いう人物に自分をなぞらえており、丈夫か軟弱かではなくバカかそうでないかの対比の方にこそ著者の真意があるのではないかと感じるからである。更にまたもう一つ、読者は多分そのバカでない人物に自分をなぞらえて読む。私も大体自分がバカのサイドにあるとは思わないで読む。だからおまえはバカなのだと著者は言っているようで面白いのである。
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