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偏見ご免のたわごと編: No.305
何になりたい_まともに答えず
2024.06.03
そのむかし疎開して田舎に住んでいた小学生前半のころ家の生活はその日暮らしで自分の先行きはこういう生活の延長かと暗い気分だった。小学校のクラスで将来何になりたいかと書かされたことがあった。私は将来もいまの生活が続くだけと暗澹たる気分でいたから、まともに答える気もわかずまったく現実離れしたことを書いて提出した。案の定先生には呆れられや周囲のクラスメートからはバカだと陰口をたたかれた。
また長じてある組織で人生で初めて配属希望理由を問われ忠誠心と絡め表明することを求められていることは知りながらもまともな自分の本心を正直に表明したところ、評価者から何をとぼけたことを言っているのかと大勢の前で非難されたことがある。私はもう所属しているのだから組織への忠誠は前提だとしてそれは言わず本心での志望理由を述べたのだが希望がかなわなかったことがある。それが私には大きな挫折でもありまた上司を信頼せず本心を明かさない処世の切っ掛けになった。
そしてその後の会社時代にも志望を書かされる際には信頼しきれぬ上司のときはほとんどまともなことは書いてこなかった。上司とか人事部門とかひとを評価する人間や組織に対する不信感を持ちながらほとんど過ごして来た。研修も気に食わぬものは適当にやり過ごして来た。そしてひとはどう思おうとその場その場でこれは自分でやったとあとで思えるよう自分なりのやり方で努めて来た。そういうまともなことを答えない私でもそれなりに考えてくれる上司もときにいたりして会社生活をそれなりに過ごして来れた。
私は子どものころから食って行けるかどうかの不安が根底にあって、夢あるいは希望や志望を表明することそしてそのために努力することが出来ればそれに越したことはないと思いはするが、何しろ食うに困る境遇になることを極端に避ける性向がいまでも抜けない。なにしろ貧乏性である。幼いころからその意識はあっていまに至っても消えないのである。それと初めての本心から出た志望表明への屈辱的な評価の記憶が相俟っていままでずっと何になりたいかについてまともに答えて来なかった。そしていまはまともに成り行きまかせと答えて疑われない年になってしまった。
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