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  偏見ご免のたわごと編:  No.199
ナメられることばかり_性格と能力の評価がよくない 2023.02.02
  自分の人生を振り返るとき、心象風景的表現に過ぎるかもしれないが、自分は他人からナメられていることを感じながら生きて来たという思いが強い。それを感じるからと言ってどうということはないのだが、なぜナメられるのかと考えることはある。

性格として人間関係を上手く構築できず、自尊心は強いが自分を押し出すことが出来ない。ひとは自分より優れているかも知れないという気があって弱いかもと思う相手であってもマウントを取るという行為は出来ない。もっぱら言葉少なく他人の言うことに耳を傾け優れた意見と思うことには影響されやすい。しかし自分が確信していることにはこだわる。そして自分では相手の思いは見通していると思いながらもなるべく優しく接することに努めている。とっつきにくく何を考えているか分からないと思われがちな他人に好かれない性格かも知れない。

私はごく若かったころ所属した組織で、自分の配属志望理由を正直に表明したところ、評価者から何をとぼけたことを言っているのかと大勢の前で非難されたことがある。所属組織への思いを述べなかったからだが、もう所属しているのだから私はそれは前提での志望理由を述べたのだが、忠誠心を示さないとだめだったわけである。そして私は自分の志望先への配属はかなわなかった。それ以後私はただそこにある業務で成果を上げ外部の高評価を得てからそこを辞める決意をし、自分を殺して何年間かを過ごしたことがある。

その何年か自分の思いがばれないようにおとなしく周囲と争わず自分の成果をあげることに集中して過ごすことに努めたのだが、そのときの経験が私の持って生まれた性格をもっと内向的にしてしまった。ある会社時代には性格評価みたいな適性試験を受けさせられたことがあるが、私は理に偏って物事を見る傾向が強くそれが欠点だと言われたのだが、そうなったのは他人をあまり信じないで来た当然の成り行きだといまは納得している。

私は大体相互評価されるとき誰もが私を最下位に評価していると思って来た。自分を偽って時間を過ごすうちにナメられても反撃したりせず、ひたすら自分の偽りがばれないように過ごすことが身についてしまったからである。だからナメられても何の痛痒も感じない人間に見える振る舞いが身についてしまった。別の言葉で言えば打たれ強いと見える人間になっているわけである。

当地に移住してからは、それに加え年齢もナメられる原因になることを知った。私は自分を偽りながらも自分のすることはそれなりに勝手放題のところがあったからか、組織の中であれやこれやと思い煩って老成することはなかったから、外見や言うことが年相応より若くバカっぽく見えたのかも知れない。前からそういうことには慣れているから気にならなかったが自分より若い連中に若輩だと思われて何となくナメられていると感じることはあった。

また年齢以外でも、他人は自分より弱い立場の者だと値踏みするとマウントして来たりナメて来る連中はいる。どんな人間でも他人を評価して自分の行動の仕方を選んでいるのだが、普通はあからさまに表に出さないから分かりにくいが、それでも何となく感じることはあった。

しかし意識してそういう素振りをする輩を見ることもある。よくあるのはかつて何々をやっていたとかどこどこにいたとか誇ったり、何々を持っているとひけらかして都会で得られなかった優越感を求める輩で、そういう連中は自分より下だと値踏みしたらナメてかかって来る。私は素知らぬ顔をしているが、誇ったりひけらかすのではなく、言わないでも当地でなるほどそういうひとだったかと思われる事を成したらどうかと内心では思っている。

いずれにしても、私はそれなりに若っぽいあるいはバカっぽいし披歴するほどの経歴も能力もないからナメられても気にしない素振りで静かに自分の暮らしをしているわけである。最近集落で後期高齢者として名前が表示されてから年齢によってナメられることは減った感じはある。

他人からナメられる、つまりバカにされるときどうするかということだが、最近見たネット記事に、それは反撃することではない、年下だった場合とか、謙虚に振舞うことを旨として人に接することにしている場合とか、自分の能力や立場をひけらかさないで優しく接している場合とか、ナメられるものだが、それは後から見返すチャンスをもらったと思いこのひとはちゃんと扱ったほうがいいと相手に思ってもらえるように、自分を変えるべきだということである。長い過去において私をナメて来たひと達が時間の経過の中で何かの私の変化を知ることがあって私への見方を変えたかどうか知る由はないのだが、いまの私について言えば年を取ること以外見返す手立てがないようなことになっている。


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