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  偏見ご免のたわごと編:  No.206
意味ある人生_よかったと思う瞬間があれば  2023.02.27
  2月11日の朝、テレビを見ていたら、寅さん映画で有名な山田洋次監督のインタビューをやっていた。監督は旧満州からの引き揚げ後の山口県で、貧しい中学時代に学費稼ぎのときに出会ったある女性店主にかけられた言葉が自分の生涯を貫く思いにつながっていると言っていた。苦しみながら生きている中で助けの手を差し伸べる温かい行為に感じ入って涙が出た。いまに至るまでその思いから自分は逃れようがない。その女性は監督にとってのマドンナになっているということだった。

監督の生涯を貫く思いとは、生きて行くということはどうして食っていくか、どうして稼ぐかということになるが、その中で生きていてよかったという思いをひとに与えることこそひとの最大の生きがいになるのだということである。そして幸せとはああ生きていてよかった、わあ嬉しいと思うその瞬間が人生に何度かあればそれが幸せで人生の意味はそういう瞬間を持つところにあるということである。監督の人生はそういう思いから逃れようがないものになっていまに至っているということである。

こう言うと親には悪いが、私は戦時父の田舎に疎開した幼いころから物心つくまで貧乏暮らしが続いて、自分の先行きにいつも絶望的な思いを持っていた。そしてその思いから逃避しようとして、いま自分で考えても恥ずかしいのだが、でたらめな行動で気を紛らわそうとしていた時期がある。私にはマドンナは現れなかったからその思いを知ってそう生きようと思う機会は訪れなかった。そしてほとんどの友を失った気がする。だから中学時代や高校時代の同窓会などには恥ずかしくて行きたくない。そういう時代があったことは自分の意志でやっていたことなのであいつはと後ろ指をさされても致し方ないと思っている。

そういう私が、高校を出てから自分の先行きを何とかしなければ、つまり自分や親が食って行くにはどうすべきかを考えた末に、一時は家を離れても生きる力を得ようとその後の進路を選んだ。そして紆余曲折がありいまの屋久島生活に至っている。なんとかしようと選んだ進路に進んですぐのころ、私は金がなく周囲の者たちが行くある行事に行けない状況にあった。他の者は知らんふりやそっけない素振りをする中、ある一人が手を差し伸べてくれた。その日の夜、就寝してから私は優しく温かいその行為に彼の友としての思いを感じることしきりだった。そういうことがあったが彼はそのあともそれを鼻にかけることはなかった。いまも忘れていないそのときの経験が、私の上からより下からものを見る傾向の人間になる切っ掛けになっている。そしていま思うに、多分私にとっての監督の言うマドンナに当たるひとは彼だった。その彼とは以来便りもせず会いもせず60年近く過ぎている。


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