屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.38  教育のこと (H13.02.05)

ここにきて今までにも増して教育改革がさけばれている感がある。私自身の教育と子育ての経験からちょっと教育について感想を述べてみる。

まず私自身のことである。家庭は裕福ではなかった。その日暮らしと言って良い。親も教育は義務教育だけに近い。小中学校での私の将来の希望と言えばまともな会社に入って安定した収入を得て食う為の金がないという強迫観念に煩わされず生活できることであった。後年高校の時にも何をしたいからと言わず良い就職をしたいから進学するのだと言って級友に笑われたことがある。

親は私に希望を託していたと思うが勉強しろとか言われたことはない。しかし小学校の高学年頃には心配せず食えるようになりたい。そのためには勉強をしないといけないと思うようになっていた。だから中学になってからは自分なりにかなり勉強するようになった。教育は自分が望むか否かが問題である。言えば人に笑われる希望のためであれ私なりに自分を教育したいという欲求があったから自分でそうすることを選んだわけである。

ついで子供の一人のことである。私と違って小さい時からそれなりの生活環境のもと食うことに困らない。スポーツのトレーニングでの身体の疲労はいとわないが、苦労すること、こらえることを嫌う。小学校を卒業する頃から高校までそんな感じで親の意見は通じない。あの頃は忍耐と努力を忘れていたと今子供が語っている。それが自分で選んだ道だったと言っている。自分を教育する責任を放棄した時代が今に尾を引いていることを悔やんでいるようである。

以上私の経験だが、小学校を卒業するくらいまでの時期に自分を教育したいという欲求が有るか無いかが以降の自分の教育の仕方を決めるのだと考えている。だから小学校時代までの間の教育にこそ親、学校などや地域、国が主体的責任をより感じるべきであると思う。それ以降は本人の責任が殆どではないかと思っている。周囲は本人の希望を支援していくことになる。その体制整備はしなければならない。しかし本人にその気がなければどうしようもない。

親として少しは未熟さも取れた今、もう一度子供の小学校時代までをやりなおしてみたい思いはある。また子供が今にして自分の教育に目覚めたことを喜んでいる。


 
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