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私は20代のあるとき自分のある行為を恥じて自分をアピールするような振る舞いはしないことにした。イタリアではずるいやつとは出来るやつのことで負のイメージはないそうである。いわゆるずる賢い振る舞いが出来るということは実力とそれをアピールする能力があるということの証だということのようである。
私はおとなしく自己主張せずただ仕事をしっかりすることに努めあとは成りように任せる生き方を選んだわけである。そして適当に扱っても文句も言わない打たれ強い人間と見られるようになって行ったわけである。娘には能無しとののしられたこともある。
そういう中で8歳くらい年上の人間が上司になったことがある。私が仕事で出す報告書はその人間が同じ仕事をしていたときの報告書と比べ質が格段に優れていた。私の報告書は一時職場で手本にされていた。私はその人間にいびりにいびられたのだが、同じ部署にいるそういう私が目ざわりだったのだと思われる。
また同じ仕事をする同僚もいてその自己アピール能力を発揮出来たようで昇進して移動したが、私の方が仕事の出来は上だったからその後私と仕事で顔を合わせても私を避けるようになった。出世してもその実力を知る私が疎ましかったのだと思われる。
なぜそのようなことを話題にしたかと言えば、2月の下旬、ネット記事で昇進できない先輩についてなぜなのか論じているのを見てそういうことを思い出していたからである。その記事を見たとき私は自分のことを言われているような感じたのである。
もともと私は性格として発達障害気味なのかひととうまく話せず積極的に前に出るタイプではない。それを無理してなんとかしようとしてひとを出し抜く振る舞いをしたことがあって、そのあとそうした醜い振る舞いをする自分を恥じる気持ちに苛まれた。そしてその記事に言う昇進できない先輩の道を歩むことになった。
幸い滅多に起こらないことながらそういう自分を見出してくれる上司がときに現れて、私は自己アピールなしでそれなりに仕事をする場を与えられ曲りなりに仕事人生を過ごすことが出来た。その私としては「実力」と「アピール」能力を備えた人間にはかなわないが、実力がそんなにない自己アピールのひとには上に立たれてもあまり負けた気はしない。
補足: サラリーマンの最優先クライアント_それは上司
2023.06.04
先日あるブログで見たのだが、サラリーマンの最優先するクライアントは上司であるというのがあった。顧客あるいは仕事の出来最優先では出世出来ないということである。社長が変われば会社は変わるという言葉の別の表現でもあると思われる。上司の意向を無視してでもその仕事で得るべき最大成果を求める性格の人間は出世しないということである。そして私はそういう意味でも出世しないサラリーマンの仲間だったわけである。
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