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私がこれまでの人生で対人関係でいろいろ嫌なことに出会って来たが、相手の言動に嫌だと感じてしまう最大の要因は、相手が自己中心に考えながらもその本心を隠しながらこじつけた正義あるいは正論でひとを支配しようという意図を感じさせるからである。そしてそういうことをするのに何の痛痒も感ぜず当たり前のようにされるとそのひとと自分は互いに理解し合えない生き方だと思えて信頼して付き合えない気がしてしまうのである。
私が一言で言えば、そういうひとは惻隠の情が欠けているからだと思うわけである。非認知能力としての自分以外の他者と関わる力に問題があるわけだが、それはすなわち協調しながら物事を進める・他人の意見を尊重する・人の気持ちに共感する・相手の立場になって考える・コミュニケーション能力・思いやりを持てるなどに欠けるところがあるわけである。私が思うに一言で言えばそれらは惻隠の情から出るものだという気がするからである。
漢文で習ったような記憶があるが、孟子は親が子を思う心を惻隠の情として社会生活の全てに及ぶ大切な心の在り方だと説いたのだが、惻隠の情とは分かりやすく言えば、相手の身に寄り添って深く心を痛めるそういう心もちということである。日本ではむかしから相手を憐れみ心から同情することとして大切に受け継がれて来たひととしての心もちの在り方である。惻隠の情は私が思うに思いやりの表し方で感じられるのだが、場合によりニュアンスがいろいろ変わると理解している。それらのニュアンスを含めて私としては惻隠の情の一言がしっくりするのである。
自分が考えたり感じたりするように他人も同じように考えたり感じたりするという当たり前のことを考えられない余裕のない心の人間だと、相手がどんな気持ちなのか想像したり少しだけでもその気持ちを理解しようとしない。自分のことだけ考えてしまうわけである。自分の心の中に相手の気持ちを想像できる余裕を持つことが出来ない状況に陥ってしまうのはなぜなのか。非認知能力が養われる育ち方をして来なかったのか、あるいはどうにもならないほど余裕を持てない状況に追い込まれているのかと考えないでもないが、相手が自己中心に考えながらもその本心を隠しながらこじつけた正義あるいは正論でひとを支配しようという意図を感じさせる人間にはそういう見方をすることにもむなしさを感じてしまうことが多いのが現実である。
補足1: 非認知能力_数値で測ることのできない人間的な力
テストの点数や偏差値・IQ(知能指数)など数値で表すことが出来るものは認知能力といわれる。これに対し数値で測ることのできない人間的な力が非認知能力。非認知能力には大きく分けて自分の内にある力と他者との関わりの中で発揮される力がある。
自分自身の内にある力としては、がまんをする・あきらめない・目標に向かってがんばる・最後までやり遂げる・新しいアイデアを生み出す・挑戦しようとする・失敗しても立ち直れる・自己肯定感を持つ・感情をコントロールするなどがある。
自分以外の他者と関わる力としては、協調しながら物事を進める・他人の意見を尊重する・人の気持ちに共感する・相手の立場になって考える・コミュニケーション能力・思いやりを持てるなどがある。
補足2: 育て方が悪かったか_弱いものに力加減しない子ども
むかし子ども同士の遊びの場で見たことである。年長の子とそれより小さい子がじゃれあっているのだが、年長の子は力の加減をしない。相手の痛みを自分のこととして想像出来ない。そして相手に優位に立つために乱暴な振る舞いに出る。小さい子の親は怪我させられないかと冷や冷やしながらも年長の子の親に気遣って年長の子を叱責できない。そんな様子を見たことがある。その年長の子が長じてパワハラ問題を起こしたと人づてに聞いたことがある。
補足3: これも非認知能力か_複雑系をそのまま理解出来る出来ない
2023.12.05
あるネット記事に、複雑なものごとを複雑なまま理解するという認知的な負荷に耐えられないひとが(思ったよりも)たくさんいて、それが日本や世界のさまざまなところで起きているやっかいな対立・抗争の背景にあるのではないかという見解が出ていた。どっちもどっちと見て善悪を決めつけずありのまま現実を理解出来るか、あるいは自分の正義を通して現実を理解するか。どちらも非認知能力だという気がするが、対立・抗争の背景が後者だとすると非認知能力にも数値では計れないが程度の差があって、その評価がまた問題になるのかと気になってしまう。
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