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  たわごと編: No.521
 
  2019.05.27 知的謙遜・知的過信_ソクラテスも悩んだか  
 
  5月初めに見たでアメリカの大学のある心理学者の研究の紹介のネット記事によると、知的謙遜という概念の研究で、ソクラテスの言う「無知の知」の科学的証明というべき、知識が多い人ほど、自分の知識の限界を認識し、間違いの指摘や他人のアイデアを認めやすいという結果が得られたということである。

一般に、知的謙遜とは「間違いは起こるものだ、自分の知識は限られているということを冷静かつオープンに受け入れられること」、そしてその知的謙遜の対極にあるのが知的過信あるいは自信過剰という概念だが、自分の考えに自信を持つことは基本的にはいいことだが過剰な自信は問題があると捉えられている。

しかし学生を対象に実験調査した結果、知的謙虚を持つ人は一般知識が多いということ、つまり知識が多い人ほど、自分の知識の限界を認識し、間違いの指摘や他人のアイデアを認めやすいことが判明。一方、知的謙虚でない人は自分の認知能力(学力)を過大評価する傾向があるものの、予想に反してそれと認知能力(学力)の間に関連性はない。また知的謙虚さの強い方が認知能力(学力)の低さと関連性がありまた自分の認知能力(学力)を過小評価する傾向があるということが判明。(つまり自分の能力に自信のある方が成績は良い。そして多分そういういわゆる強い人間が世の中を牛耳っていることが多い。そういうことになっているということを想像させる結果のように思える。)

以上の部分を読んだとき、私は以前聖書か何かで読んだ、「知恵多きもの悩み多し」という言葉を思い出した。その前後の脈絡に記憶はないのだが、その言葉だけが印象に残っている。いま考えると、世の中、いろいろ考え自分の考えに疑問を持ったり考え方を変えたりすると弱い人間と見られるが、そういう自分の間違いを認めづらい世の中はむかしのむかしからあったということかも知れない。そしてどんなときにも他人に対して礼儀正しくあるいは思いやりのある社会的態度や行動をする知的謙虚なひとであることは、重要ではあると思われていたが実際そうなることは難しいことであったようである。

研究者である心理学者は、知的過信が知識・認知・新しいことを学習する能力にどう影響するかを理解するためにはさらなる研究が必要だと言っているということだが、むかしから自信に満ち溢れたいわゆる強い人間の信念に悩まされないようにするにはどうすればよいかは解決されていない課題のようである。

補足: 悩まされなくなることはあるのか
家族、コミュニティ、職場、メディア、その他の組織などなど、ちょっとした実力者や活動家から大物そしてどこかの大統領たちまであるいは個人レベルから国家レベルや世界レベルまで、いわゆる強い人間の信念に悩まされることは至るところにある。そして文学や歴史を見ればそれが解決できない永遠の課題のように思えて来る。


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