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いつのことだったか定かな記憶はないのだが、何かの話題について私が言った一言を聞いた相手に切れまくられたことがある。多分弱みあるいは触れられたくないことに触れられたので自分を非難あるいは攻撃しているのだと思い込んで反射的に反応したのだと思われる。自分に対する非難・攻撃だと見做すほど触れられたくないことが気になっていてそれを想起させる言葉がトリガーとなってそういう反応をしたのだと思いながら私は唖然として見ていたことがある。
私が若かりしむかし受けた研修において、論議の経緯を黙って見ている役を振られたことがある。論議が終わっていまの経緯がどうだったか報告せよと講師に言われたとき、私はテーマについて自分の気持ちを通して聴いていたので自分の目を通じて受け取った経緯を述べたのだが、それはお前の感じたものであって各人の発言の経緯を正確に表していないと言われ即そのセッションは終わってしまったことを憶えている。
講師はわざと、事実は事実として把握せよ、そのあと他の関連情報も含めてその意味を考えよということを理解させるためにそういう状況を設定したのだと、まともに事実を報告できず即セッション終了の状況になる振る舞いをした自分を恥じながら理解した。多分その理解であっていたのだと思うが、私は自分の思い込みを通していろいろなひとの言うことを聞いていたわけである。ビジネスでは問題を解決するためは目にし耳にした事柄から事実と印象を峻別して事実に基づいて考えないと間違った対応をしてしまう恐れがあるぞということを身をもって教えられたわけである。
そしてこれは反省だが、そういう教えを受けながらも日常私はひとが何か言うのを聞いているとき自分が思っていることと照らしてこういうことを言っているのだな、相手はこういう思いで言っているのだなと受け取ることが多い。自分の気持ちを介して聞いているから実際は相手が言っていることとは異なる解釈でものごとを受け取っている可能性があるわけである。そういうことが年を経てよく分かるようになって来てからは、私は事実は自分の受け取り方と異なるかも知れないから即座に反応することは控えるようになって来ている。
まずは相手の言っていることは自分のフィルターを通さずそのまま何を言っているか、すなわち事実は事実として把握する必要がある。その事実を自分はどう考えるか、どう評価しあるいは解釈するかは自分の問題であって、相手が言っている意味とは異なるわけである。その自分の受け取った結果に怒ったり悲しんだりするということは、幽霊に反応していることになる可能性があるわけである。まずは相手の言うことをその言葉通り受け取って言われたことを吟味し事実をきちんと受け止めたうえで、自分はそれにどう対処あるいは反応するかを決めることにした方がよいわけである。
それはそうとして反対側から見たらどうなるのか気になるところである。こちらが何か言うときにその言葉が相手が触れられたくないと気になっていることがあって反射的に反撃に出るほどの反応を起こさせるトリガーとなる言葉が何なのか、すなわち逆鱗に触れる言葉は何なのか知るにはどうすればよいのだろうか。私は会社時代何も含むことなく何気なく言葉を発したあとで逆鱗に触れたと思ったことは2回くらいあった記憶がある。私生活においても多分何回もあったあるいはいまもあるものと思われる。友を失ったり知り合いとの付き合いが深まらないのも鈍感あるいは無頓着あるいは自己中心的言動に原因があると思われる。それがいまの私の課題であることは分かって来ているのだが、そのあたりを直していかないとまだまだ逆鱗に触れることになると思われる。
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