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  偏見ご免のたわごと編:  No.275
過去の恨みをいま晴らす_際限なく遡っていま幸せか  2023.12.25
  第二次世界大戦で日本はアメリカに負けた。本土空襲や原爆投下はいまのハマスやイスラエルの一般市民殺傷を反人道的行為と非難するのとどう違うのか。戦争となれば敵側国家を降伏せざるを得ない状況に追い込むのに、いわゆる一般国民にも被害を与える手段をとるのもあり得ることである。人道とか国際法とか、それを強制させ得る世界が構築されていないのが現実である。誰でも人間的にこうあるべきだということは分かっているはずだが、自分たちの思いを遂げたいばかりにそれを守らない国家あるいは体制が出て来るあるいは存在している限りそれはお題目なのである。

今回ハマスがイスラエルに攻撃を仕掛けた。テロとも言われている。だが、私の感覚では、ガザ住民は身の危険を感じてそれしか選択できなかったのかも知れないが、ハマスはガザで選挙で統治をするべく選ばれた言わばガザ国民によって選ばれたガザ国の政府であってガザ住民もガザ国民としてハマスの攻撃については戦争としてその責任を負うべきものに思える。それなのにイスラエルからガザ住民が攻撃され被害が甚大になると住民は自分たちから非人道的攻撃を仕掛けたのに責任はなくイスラエルによる一方的殺傷の被害者だと訴えているように見える。私はその状況に違和感を覚えている。

私が見るところハマスのガザ政府はガザ住民の状況すなわちガザという国を支える国民の悲惨な状況を考えれば条件付きで降伏(それを停戦というのかも)するしかない。そして世界を巻き込みパレスティナとイスラエルの在り方を含めた交渉をするしかないように思える。多分裏でそういうお膳立てをしようという動きは進んでいるのかも知れないが、今回仕掛けた方がまず引くべきだろう。しかし降伏しないからイスラエルは、アメリカが本土空襲や原爆投下で日本を降伏させたように、ガザを徹底攻撃しているように見える。

大昔、ユダヤ民族がその地を追われ流浪の民となった。そして20世紀ユダヤ人の国であるイスラエルを建国することになった。そのときにその地に住んでいたパレスティナ人を追い払った。ユダヤ人はむかしその地を追われた。パレスティナ人はそのむかし以後に住み着いたその地を追われた。そして両者の言うその地は全く同じ地なのかどうか私は知らないが、むかしユダヤ人はその地を失った。イスラエル建国に際しパレスティナ人はその地を失った。むかしといま、失ったのは同じだが、むかし失った記憶といま失った思いとは私の感覚では同じではないだろうという気がしている。宗教的な感情あるいは歴史問題についてはよく分からないながらも私の印象ではどうもユダヤ人あるいはイスラエル側に無理があったように思える。

私はある程度のむかしのことは歴史として教訓にするのがよいのではないかという気がしている。日本はアメリカに対して本土空襲や原爆投下について報復しようという教育はしていない。それは歴史として受け入れ犠牲者を悼むことによってその教訓を噛みしめる道を選んでいるわけである。過去は過去として未来には過去の教訓を生かすことが生きて行く知恵である。過去の恨みをいま晴らそうとして平穏で幸せな暮らしが出来るのか。いまの暮らしの幸せをもう少し考えてユダヤ人もパレスティナ人も話し合ってよい共存策を探って欲しい気がしている。どっちも自分たちの歴史あるいは正義を言いすぎない寛容さを持って話し合うしかないのではないかという気がしている。


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