屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.85  無視すること H14.01.14)

最近犬を飼い始めた。犬の育て方の本を買ってそれに習ってしつけをしつつある。それによれば叩いて叱ったりするのは良くない。犬にとっては飼い主に無視されるのがつらいのでしつけに従わないときは無視するのが一番とある。近年の犬の行動科学的研究から分かったそうである。無視されれば飼い主の不興を買ったと思ってそうされることはしなくなる、良いことをしたら褒めれば飼い主に褒められたくてそれをするようになる。そうやってしつけよと本に書いてある。

犬は群れて暮らし親分子分の序列社会、飼い主に服従する関係を構築するのが肝要、人の思いやりは通じないらしい。だから人としての思いは思いとして厳しくしつけをしようと思う。妻や娘に犬に甘いと言われながらも本などにあるようにしつけつつあるつもりだが、なんとなく感情移入してしまうと犬が憐れになる。会社での人の育て方にも本書いてあることに似たことが言われたりしている。自分も犬と同じだったかと思うことしきりである。特に褒められることは少なかったから、無視に似た扱われ方をした記憶は悔しさとともに今も残っている。

しかし人は相手一人に頼りきっていないからまだ良い、犬は頼る唯一の飼い主に無視されてどれだけつらいだろうかと思ってしまうのである。反発しないあるいはできないで、無視されてなぜかと考え込んでいるような様子を見るとその思いが強い。犬を飼ってしつけつつ暮らしている昨今、むかし犬のようにしつけられていたのかもしれない自分の犬に似た経験を思い出してしまうのである。

よく言われたことがある。お前の言うことが見えない。私が何か提案したり、意見を言うとそう言われたことがある。あるいは視野が狭い。もっといろいろな面から検討する必要があると言われたことがある。そしていろいろ工夫をしても取り上げられない。しかし何年か経ってみると否定的なことを言っていた人間が私の言ったことをやっているのを見たことがある。

また自分の着想の実行を執拗に主張して、お前は功をあせっているとも言われたことがある。そうしてやらないと決したものが後で外国の論文に出て、あの時抑えなければ良かったなどと言われたことがある。いずれも私が20代でのことである。

大体にして、言ってることが見えないと言う人は、言ってることを聞きたくないつまり取り入れたくない、あるいは話を理解できないことを隠して言っているのである。視野が狭いと言うのも同じである。自分の考えていることと異なる考えを封じようとそう言う場合がある。人の言ったことが自分とことなる考えの場合、理屈で答えないあるいは議論をしない。これは口封じのひとつの手法である。犬のしつけで一番効果があるらしい無視とよく似ている。完璧に自信のある人間はいないから人にこれはよく効く。

勿論自分の分や能力を自覚して、あるいは人の気持ちを察して自分の主張や態度を抑制する必要はある。馬鹿が馬鹿であることを自覚しないで偉そうにするのは周囲の困り者である。しかしそれを分かった上で、口封じをする人間には振り回されないようにすることも必要である。当時私は前述の例のように後から見れば自分のほうが分があった主張だったと分かったものだったが、言うことが否定されたり退けられたりした時は、自分の能力がないのではと真剣に悩んだものである。


 
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