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ジャニーズ事務所の元社長の性加害問題がメディアで大きく取り上げられるようになって「忖度」という言葉がまたネガティブな意味合いで使われるのが目に付くようになった。本来は「相手の気持ちを考慮する」という意味合いだったが、2017年の森友・加計学園問題に絡み官僚がときの総理大臣のことを慮って行政文書を改ざんしたという事件のニュースが切っ掛けのようである。メディアが使い始めてネガティブな意味合いが定着したのだが、今回のジャニーズ性加害問題ではメディアがジャニーズ事務所にネガティブな意味合いで「忖度」していたことが指摘されてしまった。
自らが作ったそのネガティブな言葉で批判して来たと同じようなことを、メディア自らがやっていたわけである。正義を謳うものも自らの口の臭さには気づかない。世の中のジャーナリズムは自らのやましさについて考える謙虚さが欠落していないか常に顧みる姿勢がないと「ジャーナリズム」もネガティブな意味合いを持つようになると肝に銘じた方がよいと思われる。
それはそれとして、私は「忖度」は社会生活における処世の知恵として人間が培ってきた資質であって、人間誰でも相手の気持ちを理解したいと思うし相手の意を汲むべきかどうか考える。その結果相手の行動や意見に賛同したり協力したり従ったりするのだが、自分が不利にならないように顔色をうかがって自分の意に沿わないときにも同調したりご機嫌をとったりの行動や言辞を取ったりすることもあるわけである。私のいままでの人生はそういう「忖度」の連続で成り立っている。「忖度」は普通に誰でもしている。思いやりのないひとも他のひとをまったく気にしないひともいないのである。
それではなぜ「忖度」が糾弾されるのか。というか糾弾されるべき「忖度」とはどういうものなのか。例えばネガティブなイメージがあることを自分を有利にするために、相手を慮った振りをして自分の行動を決めたり言辞を弄する。そういうことを「忖度」という語の範疇に組み込んでしまった結果であるならば、相手の権力を恐れお追従せざるを得ないあるいはへつらわざるを得ない主従関係、あるいは体制の弱者側の行動を糾弾していることにならないか。「忖度」をしたではなく、そういう忖度をせざるを得ない主従関係あるいは体制の在り方の問題をクローズアップさせるのに「忖度」ではなく「xx」と別の言葉を選ぶべきだったのではないかという気がする。「忖度」が悪いのではなく「xx」が悪いのだと本質を突かないメディアが「忖度・忖度」と弱者を巻き込んだ言葉を使い続けているみたいで違和感がある。
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