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  偏見ご免のたわごと編:  No.280
ルールや慣習_やりたいようにする自由  2024.01.29
  1月のある日、テレビのあるバラエティーらしき番組でルールを破ることについてのトークを見た。例えば校則を破るとか何らかのルールあるいは決まりに従わないのはそういうことをするひとの自由である。そのひとがこう生きたいというのならそのひとのやりたいようにして構わないと思うが、校則などは破るにしても是非の境を少し動かすくらいで自己主張をするくらいがよいだろうというのが大勢意見だったような印象を受けた。

私としては、法的なものについては守るべきだと思っている。そうでないルールや慣習について自分が要らぬ決まりと思えるなら破っても構わないのではと思っている。ただし、社会が機能するために必要であると思えるものは秩序が乱れる可能性があるから、問題提起の手段としての行為にとどめるべきで個人の自由だと勝手放題に破るべきものではないと思っている。テレビでの意見の大勢と同様、私は多分常識的な見解の人間である。

その私が思うに、世の中のルールや慣習あるいは不文律それらに培われた世の中の在り方についての意識あるいは暗黙的な理解に対しそれらに不都合を感じているひとが自己決定権や自由意志の尊重を求めて自分たちの生き方を主張し不都合のない社会への変革を求めることについても、そのひと達がそう生きたいというのならそのひと達のやりたいようにして構わないと思っている。そしてそういう倫理的側面について問題を提起し変革を願う活動は正当なものであると思っている。

しかし自分たちと異なる見解のひと達を悪であるかの如く攻撃するようなことがあればそれは問題であると思っている。自分たちが生きたいようにしたいそしてそれを否定することは許されないという姿勢のひと達の主張には全面的には賛成出来ない。ひとがこう生きたいというのならそのひとのやりたいようにして生きることに異議はない。だがその一方でそういう生き方に疑問を持ったり嫌だと感じることもそう思うひとの自由である。社会として受け止めるあるいは受け入れることを理解しているからと言って、嫌だなと思う自由まで否定して自分たち個人の自由を言い募るならそういうひと達の姿勢には賛成出来ないのである。


補足: 物言えば唇寒し秋の風_無理して我慢するのも
「物言えば唇寒し秋の風」は芭蕉の句で、人の短所を言ったあとは後味が悪く寂しい気持ちがするの意だが、転じて何事につけても余計なことを言うと災いを招くという警句となっている。だから心中ではいろいろ思っていることも表に出せないことがある。特にポリティカルコレクトネスみたいなものに逆らう思いは言いづらい。ポリティカルコレクトネスなどは人為的だから自分が自然に感じる気持ちとか慣れ親しんだそれなりに社会で培われた通念にそぐわない違和感があるときもあるわけである。そしてそれを口にするとそれさえ許さじと攻撃されたりすればその正義の不自然さを意識せざるを得ない。無理して我慢することが強要されるとその反動もそれなりに大きくなる。人類が生き抜いてきた知恵なのかあるいは変革が必要なのか、どちらを正義と見るかは互いにそれなりの理屈があるとしても過度な対立は不毛である。どっちもどっちで適当なところでやって行くしかないという気がしている。


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