My logbook : 屋久島暮らし残照録  
  Home > 目次 > 記事  
  偏見ご免のたわごと編:  No.075
隠れアスペルガーかも_生きづらい感覚残るもいまは平穏 2021.05.10
  私が初めて自分が他のひとと同じように動けないと感じたのは高校入学の時である。初めてのクラスでいくつかの何かに該当する生徒を調べていたのだが、自分が該当することに当たったとき大きな声で申し出ることが出来なかった。そして教師のところに行ってもそもそと告げたことことがあった。なんでか知らないが気おくれした感じでみんなの前で言えなくて、入学式についてきた母から何ですぐに反応しないとなじられた記憶がある。

その時はそれで済んで、その後は何も自分でそういう感覚になることはなく進学をし就職もした。ところが社会に出てからは、常になんとなく働きづらい感覚が付きまとうことが多く、その感覚を押し隠しながら60歳に数年を残して会社生活を止めるまで続けて来た。いままでも何となく生きづらさを感じるときがあって自分は社会生活への適合性が少し欠けているのではないかと何となく思っていたのだが、先日ネットで隠れアスペルガーについての記事を見かけ、私もそうではないかという気がして来た。

そう思えば、私は雑談が苦手である。また何かをやり始めるとひとの言っていることが耳に入らないかのように集中してしまうと妻からはよく言われる。つまりいまやっていることの手をいったん止めて言われたことに対応するとか、同時並行的に何かをすることがなかなか馴染めない。会社でも何かに熱中してやっていると会議時間を忘れてしまって慌てることは多かった。また私の仕事や社会行動の好みは、アスペルガー症候群の人が苦手意識を持たないとされる仕事の特徴、「自己完結型」、「突発的な変更がない」、「同時並行しない」、「社内政治がない」、「雑談を必要としない」、と同じ傾向だったと思うし、いまもその傾向は変わっていない。

何でこんなことをいま書く気になったかと言うと、昨年来コロナ禍で行動が制約された感が強くなったからか、なんとなく憂鬱になるときがあって何でかと気になって来ていたときに、前述にある通りネットで隠れアスペルガー(アスペルガー症候群と診断されたわけではないが、そういう傾向を持って働きづらさや生きづらさを感じて生きている)についての記事を見かけ自分もそうではないかと気になったからである。その記事は5月2日に見たのだが、そこに隠れアスペルガーに関する本も紹介されていた。私はもっと知りたい気分になってその本を注文してしまった。

その本は、「隠れアスペルガーという才能(吉濱ツトム著・ベスト新書)」である。その本の中にアスペルガー診断テストというページがあってやってみたら私は、40~60人に1人はいる典型的な隠れアスペルガーの可能性があるという結果(専門医にアスペルガーだと診断される症状の強さにもう少しというくらい)だった。

また別のページにアスペルガー(隠れを含む)の医学的分類(3つのタイプ)があって、それによると自分で言うのも何だが、私は隠れアスペルガーに多いとされ日本ではそれが主である最もソフトな「受け身型」である。そしてまた、精神科医の中で勝手に定義している独自の分類があるようなのだがそれによれば「良いアスペ(純粋、優しい、素直といったアスペルガーの長所があふれているタイプ)」のようである。

言われたことを素直に受け止め、屁理屈や批判を言わず、失敗してもひとのせいにしない、基本的に努力や勉強が嫌いではない、ということである。著者の感触では隠れアスペルガーの7~8割が「良いアスペ」で、その長所を伸ばせば生きやすくなるそうである。ちなみに世間で言う問題児というのは「困ったアスペ」で、何を言われても反論して何ひとつ素直に受け入れたりしないしすぐひとのせいにするので著者は諦めているようである。

私はいまは田舎暮しを楽しんでいるわけだが、いままでに働きづらさや生きづらさを感じたりしたことは何度となくある。それなりに努力をしていまに至っているが、なぜ自分がそういう感覚になるのか、自分に欠陥があるのではないかと悩んだときもある。本によればそういう感覚を持つのは遺伝的な脳の器質によるもので自分のせいではないらしいし、至るところにそういうひとはいて活躍しているあるいはしていたそうだから、隠れアスペルガーを自分の個性だと思ってそれなりに長所を活かし自分にあった生き方をするのがよいということのようである。

ちなみに妻は、その本のアスペルガー診断テストによれば特に問題はないという点数だったので、私の器質が子や孫に困ったかたちで遺伝する可能性が小さくなっていれば良いなと思っている。


補足: 
自閉症的な面もある気が_私は世間話が苦手
2023.04.04
『「普通」ってなんなのかな・自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方(ジョリー・フレミング&リリック・ウィニック著・上杉隼人訳・文芸春秋刊)』という本を読んだ。ジョリーが自閉症のひとでリリックがそのひとをインタビューしてまとめた本である。ジョリー特有なのか一般的になのかどうか分からないが、自閉症のひとの感情とかものごとの感じ方とか大分定型発達者(いわゆる普通のひと)と大分違うようである。事実を感情を通して見ない。眼で見たものを言葉を介さずそのまま情報として受け取る。世間話は苦手。などなどいろいろ自閉症のひとの感じ方、見方、受け取り方、考え方が普通のひとと違うようである。そして理解されないことがあるのは承知で自分は自分だとして生きていて引け目は感じていないそうである。この本を読んで、私は自閉症のひとの感じ方などに自分と似た面があるので、自分に自閉症的要素もあるのかななどと思ったことである。


(関連記事)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
  No.139  遺伝と外的環境半々で性格が決まるとか  (2012.12.24)
  No.506  言ってはいけないらしい_生まれつきのこと  (2019.03.07)
屋久島暮らし残照録・偏見ご免のたわごと編:
  No.075ap  キャリアを決めるもの_実力とアピール能力  (2021.12.24)
  No.079  コロナワクチン接種_予約可能会場と実施日の事前情報は  (2021.06.07)

  No.196  自分史貰って困ることも_誰に向けてあるいは何のために  (2023.01.23)
  No.199  ナメられることばかり_性格と能力の評価がよくない  (2023.02.02)
. 
 
  back