屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.202  偉く見せること(2)    (H18.03.13)

最近の新聞記事に、これから団塊世代が定年を迎えるので、田舎暮らしを目指す人も多くなりそうだというのがあった。地方では優遇策で移住者を呼び込もうとしているところもあるそうである。田舎暮らしに何を求めるかは、ひとそれぞれ、田舎で晴耕雨読、趣味三昧の生活を目指すもよし、捲土重来、起死回生、失地回復を図ろうとするもよしである。ただ都会で偉さ感覚に侵された人はそれを捨てなければ、田舎に来て周りの景色は変わっても意識・価値観は都会生活の延長と変わらないことになる。それでは田舎暮らしをする意味がなくなる。

いつだったかTVの海外ドラマで名探偵ポワロが田舎に引っ込んだときの事件を見たことがある。田舎に引っ込んで庭いじりなどしていても退屈である。自分が有名な探偵ポワロであると知らず誰も一目置いてくれない。自分の探偵としての実績も評価されずその力を発揮する機会もない。それが不満である。そういう時期に殺人事件が起こりそれを解決する過程で自尊心を満足させるという筋書きだが、その事件だけでポワロはまたロンドンに戻ったようである。

ポワロは田舎にいても有名な探偵としての名で見て欲しかった。引退してイギリスの上流がするのを真似て粋がって田舎暮らしをしてみたが、自分は田舎の人間とは違うのだという気分が抜けない。だが、田舎ではその力を発揮する場がないから、結局は都会に戻るのである。ポワロなら都会に帰ってもそこで活躍できる力があるからそれが可能である。

田舎暮らしを目指そうという人の中には、ポワロのように都会で有名あるいは成功したと自他ともに認めている人はいると思われる。そういう人は帰って活躍できる都会がある。しかしそうでもないのに田舎に来て自分を売り出そうとする人も中にはいる。田舎暮らしを粋がったり、都会のむかしばなしをしたりして自分は田舎の人間とは違うのだと言いたげに振る舞うのだが、何も言うことに見合ったことをなさない。こういう人は周囲と自分は違うと感じることに田舎暮らしの意義がある、自分を大きく見せ都会で得られなかった優越感を得たい、チヤホヤされたいという意識が強いだのだと思われる。

名実ともにそなわったポワロだって、その意識を変えられず田舎暮らしがうまくいかなかった。名実ともなわない人が虚栄の生活をしようとしても化けの皮はそのうちはがれる。いたたまれなくなって撤退、捨てたつもりの都会生活に再び埋没ということになりかねない。

(注: 上記記事におけるポワロに対する所見は、私が見た限りのポワロ・シリーズ・ドラマでのポワロの物言いと振る舞いから、「アクロイド殺人事件」(田舎暮らしのときの事件)のときの本心を考察してみたものである。)

No.201 偉く見せること(1)  (H18.02.27)


 
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