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  偏見ご免のたわごと編:  No.139ap
不正を追及する手法_煽られないよう注意が肝要 2022.06.13
  屋久島ではフリージャーナリストだと思われるが、町政にかかわる不正を追及しようとする取材を行政あるいは議会が拒絶していると叫んでるようである。真偽のほどは分からないが私の見るところでは、週刊誌やネットで事実はちょっとしたことなのに想像や憶測で事件に仕上げたり、噂みたいな段階で悪だと決めつけて扇動することがあって、ジャーナリズム側が自分の首を絞めて来た結果、用心深い田舎のひとから警戒されているからではないかという気がする。屋久島のフリージャーナリストが取材相手を脅迫し送検され不起訴になったという事実も警戒するに十分値すると私にも思われる。

以前、フェイクニュースやデマ記事の氾濫する様子が気になって報道の在り方について批判的な意見をネットで探してみたことがある。印象に残ったものを書き留めておいたのだが、屋久島の行政あるいは議会のひと達もそういう思いを持っているのかも知れないと思い挙げてみる。ただし私がそう思っているだけで当たっているかどうかは保証の限りではない。

1. 事実は袖すりあっただけなのにあとは想像や憶測で本当のようなストーリを描いた記事を書いて最後にちょっと責任を回避するための疑問符を付け、本当だと思わせるように印象操作する。世間でそれは噂あるいは真実として尾を引き広がる。

2. どこ社会にも極めて低い確率ながらヤバいやつはいて、よからぬことでも話題にしヒットさせられるネットの世界は情報工作の拠点となる。

3. 被害者意識を持っている人たちが割と簡単に自分の生活の不満をダイレクトに社会運動に結び付けてしまったりするが、ネットは不安や不満を増幅する装置でもあり、そういう社会問題を焚き付けて煽り、不信感を社会や政府に対して植え付けることも起き得る。

4. ジャーナリズムは不正な偽善である。ジャーナリストを名乗るのは「私は浅はかです」と言っているようなものだ。報道の自由は、国民の「知る権利」に奉仕するものであり、国民を扇動するために保障された権利ではない。

5. 大方のジャーナリストあるいはメディアの仕事は真実を壊し公然と嘘をついたり中傷したり判断を誤らせたりする。特定イデオロギーにへつらいあるいは醜聞を煽って、それで得をする邪悪な人間たちに国家と国民を売り渡すことである。邪悪な人間たちに踊らされることを自覚しているならまだ救いはあるが、自分の思想信条に沿うことが正義だとして自分の報道内容に責任を持たない輩は救い難い。


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