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  日誌編:  No.151  
小説「いとしのヒナゴン」_田舎に優しさはあると信じる 2022.07.04
 
「いとしのヒナゴン」(重松清著・文春文庫)という小説を読んだ。市町村合併華やかなりしころのある町でのはなしである。かつてその目撃情報があってその存在を信じ町の生き残りをかけて探すことにした町長とそれをめぐる合併ばなしの経緯である。ヒナゴンは架空の生き物であるのだが、目撃情報を募ると情報が集まってヒナゴンの帰還かと町は盛り上がる。


合併反対の町長にリコール問題が持ち上がり辞任するのだが、そのあとの選挙にその元町長と、町をこどものとき離れ都会の大学卒業後に合併の中心となる隣接の市で働いていた西野ともう一人町の有力者が立候補する。合併推進の隣接市市長の後押しもある西野は財政や行政サービスを考えれば合併はすべきという考えである。

そしてその西野が町長選前の合同演説会のトップ弁士になって演説するのだが、それをモニターしていた元町長は彼が合併推進の隣接市市長の傀儡ではなく地元への思いと決意を持っていると知って選挙戦から降りることにした。それまでに小説ではいろいろそれぞれのひとの思いとか出来事とかがあるのだが、田舎の町に住んでいる私は、西野の演説会での発言内容が田舎の一面を言っているようで印象に残った。

「田舎はのんびりしていて、人情豊かで、温かい、なんて嘘です。セコくてずるくて、陰険なところ、たくさんあります。ひとの悪口ばっかり言って、誰かがちょっとまわりと違ったことを言ったりやったりすると、すぐつまはじきにして、まわりの目ばっかり気にして、目だつひとの足を引っ張ることばっかり考えて、よそ者を冷たい目で見て、義理があるとか世話になったとか付き合いがあるとか、そういうことにバカみたいに縛られて・・・・」

「嫌なところたくさんあるじゃないですか、この町。冷たい心、みんな持ってるじゃないですか。それを止めて欲しい、やめたいんです。絶対に。」

「でも、冷たくて嫌なところもあるけれど、やっぱりいい町だよね。冷たくしたりつらい目に遭わせたりしてきたひとたちに、ごめんなさいっていって謝りたい心がみんなにあったから、ヒナゴンは出てきてくれたんです。私はそれを信じてる。優しい心、みんなが持っているんだと、わたしは信じています。」


はなし変わって屋久島町のことである。27年も住んでいる私はそれなりに暮らしやすくなって来ていると感じている。だが、ニュースブログを見ていると町の行政や議会はけちょんけちょんである。どうしようもなく程度がよくないというようなはなしばかりがあふれている。私は27年前に移住して来たのだが、台風や大雨などで交通機関が乱れそして物流も滞ること以外特に想像していた暮らしと大きく違っていたという印象はない。

こまごまとしたことにはいろいろこうであればというような要望はあるしそれに関する不満を言ったりするが、程度の差はあるとしてもそういうことはどこに住んでも同じではないかという気がしている。ただ、ひとによって感じ方やもののとらえ方に差があって、それにどっぷり浸かっていると他人にも正義のあることを忘れがちになる。

それは、その土地その土地でそれなりに風土は違うから、そこで育ったひと達もそれに影響されて育って来ているからである。だが、お互い自分たちと全く違う人間ではない。同じ人間だからひととしてのこころは持っている。互いに対立するより共通理解の出来る道を探そうという気持ちを持ってあるいは態度で接すれば、たがいの歩み寄りでそれなりの解が得られるのではないかと思われる。

自分も悪をするかも知れない弱さを持っている人間であることを思えば、悪を裁くというよりは相手に対する見方に優しさも生まれて来る。ひとを罪びととして裁かず罪を犯さないためにどうするかを論じ合い、そして真になすべきことは何なのか論じ合えば、たがいに歩み寄って新しい姿を実現して行くことが出来るのではないか。私は屋久島のひと達もそういう優しさを持っていると信じている。


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