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あるネット記事に公共の嘘というものについて書いてあった。公共の嘘とは上にある者と下にある者がお互いを傷つけないために、ある種のフィクショナルな合意に甘んじる、同意するという態度だそうである。弱者は強者の心理を、強者は弱者の心理を読みとり、破綻が起きないようにお互いが妥協できる着地点をあらかじめ想定しておく、つまり気を利かせる大人の発想なのだそうである。
合意のもとでの嘘に甘んじ、嘘を自分自身に信じ込ませて破局を回避しようとする知恵、したたかさ、たくましさ、嘘を許容する寛容な気持ちがないと、人間社会はうまく回らない場合が多いから、それも一つの暗黙知のようなものとして存在しているようである。そして嘘が正真正銘の嘘であることを互いに見抜いたうえで公共の嘘は成り立つもののようである。
さて、ここは私が当町の問題についてそれもあるかも知れないという気がしていることである。ニュースブログで盛んに「うそ」と追及されている国の補助金が出る工事についてのことである。工事が完了していないのに完了したということにして町は業者に金を払った。業者や町はその嘘は知っている。県も国もそういうことはあるということは知っている。それでうまく回れば不問に付してそうだとして処理される。しかし誰かが騒いだら事実は嘘だったのだから否定できないから、それを認め追及したり処分したりしないわけには行かない。それが町や県あるいは国の反応である。それで工事の進捗に影響が出て来たりするものと思われる。騒がなければ工事目的は現実的対応での遅れはあっても達成されるので誰も困らないのではと思われる。私もむかしそういうことにしてということではなしをまとめたり融通を付けたりしながら仕事を進めたことはあった。
ネット記事には、真実や事実をとことん探求したり追求して行こうとする姿勢は尊重すべきものだが、嘘を許容する寛容な気持ちがないと人間社会はうまく回らない場合が多いとあった。嘘がそういう人間社会の許容する嘘なのか、害悪を流す邪悪な嘘なのか、それを見極める教養を備えていてほしいということのようである。私としては当町の工事完了していないのにしたとしていた問題についてのニュースブログの追求記事を見ては、町長の旅費問題の事実を追求するためという取材においてひとを脅したとして書類送検されるようなことをした人間がいると思われる組織が人間社会が許容する嘘をとことん追求しているという印象を受けているので、事実はそうかもしれないと思ってもその姿勢に裏を感じてなかなか信じ切る気にならないのである。
補足: 誰でもやる_得しそうなこと
2022.05.07
ニュースブログの追求記事を見る度に思っていることである。私は多分あいまいにこんなものだろうと思っていて詳細を厳密に知らないで大丈夫だろうとやってしまうことはあった。またうっかりとあるいは本当にばれなければズルをすることはやってしまう気がしている。そして誰でも聖人君子ではないからそういう可能性はあると思っている。以前航空運賃精算問題で、追求側の議員も不正をやっていた。偉そうなことを言って不正を追及するが知らぬ間に自分も同じことをしてしまっていることはある。追求して裁く側も同じことをすることはあるわけである。相田みつおじゃないが、それが人間だもの。ひとを裁くばかりではなく、そういうひとが出ないようにどう対策すべきかということも追及してみたらどうかという気がする。
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