8年くらい前に人間ドックを受けたのを最後に、町のやる健診や人間ドックのような定期検診を受けることをやめた。それまでにいろいろな情報に接して、やったからと言って死ぬ時期はそんなに変わらない、何でもないのに受けて何か見つけて、そのあと医療的対処したとしても、受けないで何もしないで不具合が出てから医者に掛かったのと死ぬ時期に大した違いはないということを知ったからである。特に高齢になってからはそうだということである。
受けて何か見つけて対処(例えばがん手術など)し、以降QOLが低下したまま過ごす死ぬまでの時間と、何か見つかってもどうしようもないものは対処せず(例えばがんの手術などしない)に、最期近くなって自然にQOLが低下して死ぬまでの比較的短い時間を比べれば、前者の方が苦痛で楽しくない時間が圧倒的に多そうなのである。それなら健診や人間ドックのような定期検診を受けないで、何か気になる症状が出て来たときに(重度であってもそのときはそのときと覚悟して)医者にかかることにして、残りの人生をなるべく長く楽しむ方が賢明かなと、そう決めたわけである。
そして私は近くの診療所でいまは服用して効用があると感じている薬一種と体調確認にときどき血液検査を受けるだけにしている。ところがこの11月に診察を受けたとき医師に町の健診を受けたらと勧められたのである。私はあいまいな返事をしてその場をやり過ごしたのだが、ちょっと受けないという決心が揺らぎそうになって、家に帰ってからむかし読んだ本やまだ読んでいない本とかネットで見つけた情報を読んでみた。
そして考えたのだが結論としては、健診を受けても長生きにはつながっていない、「健康な人に毎年の身体検査はたいてい不必要で、益よりも害をなすことが多い」ということなので、検診は受けないことにし、気になるほどに体調が悪くなったときに医者にかかるということでよいだろうと再確認したわけである。
私は会社勤めの時代や屋久島に移住して10何年かの間、毎年人間ドックを受診し続けて来た。早死にしたくないと思ってだが、人間ドックを受診し致命的な不具合はなかった。それだからと言って受診したからいままで生きているのだという実感もなかった。それでいろいろ調べて8年くらい前に人間ドックを受けたのを最後に、町のやる健診や人間ドックのような定期検診を受けることをやめたのだが、やめてみて毎年受診する予定を考えたり受診の結果で心配したりするストレスから解放されて心安らぐ日々が続いている。
補足1: 健診推進政策は本当に必要か調査検討が必要ではないか
聞いたところによると、検診を推進しようとして町が医院に来院者に健診を勧めるよう依頼しているらしい。米国総合内科学会による「健康診断」の項目では、「健康な人に毎年の身体検査はたいてい不必要で、益よりも害をなすことが多い」と断言しているそうである。そして検診を義務化しているのは日本だけらしい。また検診を受けたからと言って長生きにはつながらないそうである。世界的に有効性が疑問視され「不必要で害も多い」とされる健診を推進する必要はないように思える。
補足2: 先日血液検査の結果を聞いてからのこと
11月に診察を受けたとき医師に町の健診を受けたらと勧められたその日に血液検査の採血をしてもらったのだが、何日か経ってその結果を聞きに行った。結果では新たに異常項目も出ていてそれについての説明があって、それに続けて当院でも検便とエコーが出来ると言われた。そこで私は検査結果で新たに出た異常項目が理由でもっと調べてみる必要があるのだと思い即やってほしいと言ったのだが、そのあと家に帰ってからどこが悪いのかと気になりかなりのストレスを感じながら過ごすことになった。
鬱々としながら別の可能性も考えたのだが、健診を受けたらと勧められた日の私の態度で町の検診は受ける気がないようだと伝わっていたので、当院でも検便とエコーが出来ると言ってくれたのを私が血液検査とつなぎ合わせて受け取ってしまっただけかも知れない。それならしないと決めた健診を一部ながらすることになるわけである。
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