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私の母は58歳で亡くなった。私は血液型が母と同じだったりして同じような年で死ぬかもしれないという思いにとらわれ、私には21世紀は来ないと思っていた時期があった。そしてその歳になるまでに子達に親を頼らず自立することを求めた。私が当地に移住することを決めたころで移住の数年前である。移住する前年には子達が学校を卒業したのだからその前年までのことだったわけだが、はっきりした時期は憶えていない。
私の自立の求めに対して学校を卒業してからの身の振り方について娘は結婚、息子は就職で応えた。そして私は母の亡くなった歳の4~5年くらい前の歳になった年、それはすなわち子達が卒業した年なのだが、その夏に早期退職した。そしてその翌年私は当地に妻と父を伴って移住した。約30年前のことである。
父は70歳代の半ばに胃がんの手術をしていて体力は低下していたし、認知症の症状も出ていたので、私は妻にだけ世話をしてもらうわけにもいかないので退職はいずれしなければいけないという思いはあった。そのタイミングを子どもたちの自立の時期に合わせたわけである。
これは後付けだが、当地に移住することにしたのは、父の余命と私が母が亡くなった歳に達する年までの期間が同じくらいだろうから、それまでは妻が主力ではあるが私も父の世話をしながら自分も出来るだけそれまでの間好き勝手に暮らしたいという思いがあったからのような気がする。父は移住して5年の93歳で亡くなったが、私は生きながらえてそれから約25年のいまも生きている。そして生きながらえている間は妻のために生きたいと思って過ごしているわけである。
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