屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.24  役割についてのこと (H12.10.29)

近所の友人宅で奥さんのお母さんを引き取って介護していたが、そのお母さんが数日前亡くなった。昨年は我が家で93歳の私の父が亡くなった。亡くなったことを言いたいのではない。ちょっと介護に関連して思いを述べたくなったのである。

私の妻は結婚以来私の両親と同居である。結婚したては私の弟2人も同居していた。弟達にもおさんどんのように扱われる場面もあり今でもすまないと思っている。母が若くして亡くなり、弟達が家を出たのち、妻は二十数年間父の面倒を見てきたことになる。特に父が76歳で胃癌の手術をしてからの17年間は毎日よく気遣いをしてやってもらい感謝の言いようがない。

父が80半ばを過ぎてからボケもではじめた。トイレに行ってうんこを良くふかず壁を伝って移動して壁にうんこの指跡がつく。たたみに何か落ちている。うんこだったこともある。くずかごに水分がある。小便がしてある。こちらに引っ越してくる前にはいなくなって警察犬が来たこともある。しょっちゅうあるわけではない。こんなことがあると言っている。こまごまとした変なことはしょっちゅうする。言っても聞かず繰り返す。

たまに弟たちが来る時がある。きれいにさせて皆の前にだす。本人は自分の具合悪いことを誇張して訴え面倒見の悪いことを訴える。弟たちに大変だと言うが何でもないじゃないか、たいしたことしてないのに大げさに言うなとか妻が責められる。そんなにきつく言うわけではない。しかし妻にはつらいものがある。妻も不調をきたすがいつも明るく振舞っているから信用されない。こういうことも予定をはやめて子供達が独立した直後アーリリタイヤメントし屋久島へ来ると決めるのに影響を与えたかも知れない。

こういう話しは世間にいくらでもある。雑誌などにもよく載っている。みなさん同じかなと思う。私たちも言うならやってみろとは言わない。私たち夫婦の役割を人に投げては今までの生活の意味がなくなってしまう。だから黙ってやってきた。黙っているからといってなにも感じないわけではない。残念である、面白くないという思いは今も引きずっている。

話し変わって自分の役割を人に投げる投げないということから思い出すことがある。むかし出向していた会社で残念である、面白くないと思う事があった。私の部署(開発)の下流工程部署(生産技術)がなかなか仕事がはかどらない。そうすれば私の部署の成果も現実のものにならない。なぜはかどらないか聞くと人手がない、ルーチンワークや現場不具合に追われ新しいことにじっくり対応する余裕がないという。私はじゃあうちの部署で手伝ってやると言った。

そしてその部署が依頼して来た仕事がその時点で一番難しいと考えられていた生産治具の設計である。私は馬鹿ではないかと思った。これを作るところに自分たちの存在意義がある。それを売り渡すような誇りのないやつはどうしようもない。専門の自分達がてこずっているものを手伝いにぽいと出す。その部署では手伝いの提案に裏で、かわいいことを言ってくれるじゃねーか、やれるもんならやってみな、と言っていたそうである。

私の部署も人手があまっているわけではない。でも後工程が進まないでは困る。思いあまって提案しているのである。ルーチンの単純処理などこちらでできることを手伝へばその部署の本質業務を促進してもらえると思って言っているのである。馬鹿にされたと思ったのかもしれない。それなら私なら初めから弱音ははかない。私はその部署の態度を見て支援作業をやめさせてしまった。

その会社はかなめの生産技術がそんなところだから確かめもせず原低だといって周りに黙って勝手に工程変更をして市場クレームを出す。私がいた時で何回もあった。そのたびに設計の正当性を証明するためにてんてこ舞いさせられた。最近知るところではその会社は親会社に捨てられたらしい。別業種の会社に売られてしまった。


 
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