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  日誌編:  No.328  
本「倫理資本主義の時代」_ざっと見の感想 2024.09.09
 
8月下旬のあるネット記事で本の著者のインタビュー記事を見たのでその本「倫理資本主義の時代(マルクス・ガブリエル著・斎藤幸平監修・土方奈美訳・ハヤカワ新書)」を購入して読んでみた。資本主義のプラットフォーム上で道徳的進歩を目指そうというのがこの本の趣旨である。私はこういう哲学的らしい冗長な説明の続く本は苦手である。以下、箇条書きでもっと端的に書いて欲しいと思いながらざっと見で読んだ感想である。


ひとが自由に競争するところに進歩発展がありそこに利益もついて来る。だが、自分が自由にやりたいことをやるためには他者が自分勝手に振る舞って協力して活動してくれるないやりたいことは実現できない。自分が自由にやりたいことをやるためには自分と同じくらい自由な他者が協力して活動してくれる必要があるというわけである。そして互いに悪いことはしないということが必須なわけである。

企業レベルでも互いにその自由な経済活動をして行くには、互いに協力して行かなければならない。その協力の基盤として倫理的価値観に合致していることが必須である。そして企業は道徳的に正しい行いのなかで利益をあげればよい。それには倫理的に許される経済活動で利益を上げるという考え方つまり倫理資本主義に基づいた社会に変革して行こうというのが主張である。資本主義のプラットフォーム上で倫理的に許される経済活動をする社会になることをいま現実的に目指すべきだというわけである。

ざっと見での感想だが、日本人である私には経済活動はそうであるべきという考え方はしみ込んでいる気がする。いわゆる西欧社会がそういう観点が薄く日本がそれに毒されて来たのが近現代ではないのかと思ったりしたことである。つまりは倫理というものが世界共通ではないわけである。土地土地、あるいは国々、あるいは宗教間で歴史の中でそれぞれそれなりの倫理が形成されて来たわけである。倫理資本主義の考えは資本主義国相手の主張だとしてのはなしだと思うが、私は全世界の経済活動を仕切り得るようになるのかどうかが気になっている。

共通の倫理をどうするのか、そして全世界でそれに基づいた資本主義のプラットフォームをどう作って行くのかという問題の解が示されていないので全世界的な実現は難しい気がしてしまった。そういう解があれば、いまもある戦争(中東、ウクライナ、その他いろいろ)など起こらないのではないかと思ったりしてしまったわけである。


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