2年位前に読んだ本「嫌われる勇気」の続編が出ているのは知っていたが、タイトルから見てあまりそそられないから私は買わなかった。その本を最近上京した妻が買って来たので読み始めた。以下、まだ読了していないので本の読書中の感想である。本の一節を読んで、その本の趣旨とはかけ離れて頭に浮かんだ感想である。その本の趣旨からは自分を棚上げにして、文中の特定文言を読んだときに思ったことである。その本は、「幸せになる勇気」(自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ)岸見一郎・古賀史健著(ダイヤモンド社)」である。
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左: 今回読んでいる~「幸せになる勇気」(自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ)
右: 以前読んだ~「嫌われる勇気」(自己啓発の源流「アドラー」の教え) |
(「カウンセリングの三角柱」
_三面のうちクライアントに見えていない残りの一面)
カウンセリングの三角柱というはなしが出てくる。三面の一面には「悪いあの人(非難)」、もう一面には「かわいそうな私(アッピール)」と書いてあって通常クライアントはその二面しか見ていない。つまりいまの自分を肯定したいがため非難とアッピールをする。ところがカウンセラーが見えていない残りの一面を見せると、クライアントはそれを選びその中身を考えることになる。そのもう一面には「これからどうする」と書いてあるというはなしである。
これを読んでいるとき、韓国の反日がこれに当てはまる気がしたのである。日本は韓国に悪いことをして来たし、またしてもいる。私たちはそれで被害を受けたし、また受けている。韓国はそう言って非難とアッピールを繰り返しているが、その状態から脱却し、幸せになるために「これからどうする」ということに集中し努力を傾注した方が良いのではないかという感想である。
また国内の野党やマスコミなどの姿勢にも似たようなことが言える。非難とアッピールの繰り返しに終始しよい子ぶっているが、建設的議論がないのはそういうことかという感想を持ったものである。
(皮肉独白:カウンセラーはどこにいる・・・・。)
(勝者に都合の良い過去=「歴史」
)
また歴史についてのはなしも出て来る。歴史とは勝者あるいは権力者がいまの自分を肯定するに都合の良い過去のみを選んだものである。本当の過去は捨ててしまったわけだから彼らが過去を語ることに意味はないというようなことである。
これを読んでいるときは、中国や韓国の言う正しい歴史認識もいまの中国と韓国のあり方を肯定するために選ばれた過去で作られた歴史認識であって、中国や韓国は本当の過去を捨ててしまったのに意味のない過去を語りそれにこだわっていることになる。過去を捨てているのに自国の歴史認識のみ正しいと主張する態度は自国の現在に後ろめたさがあると思っている表れではないかという気がしたわけである。韓国のみならず中国も「これからどうする」ということに集中し努力を傾注した方が良いのではないかというのが感想である。
また国内マスコミなどの姿勢にも似たようなことがあって、受け狙いで思いを感情に訴えるだけの非難とアッピールの繰り返しに終始し批判的論調ばかりで世間を煽っているが、悪いことのみならず良いことも伝えて正しい世論の形成に寄与して欲しいという感想を持ったものである。
また本を読んでいる最中に、国連・人権理事会で人権高等弁務官が慰安婦問題で慰安婦は性的奴隷だと指摘し日本を避難したという報道があったが、国連がいわゆる歴史・過去を語り裁いて歴史のページにまた新たないわゆる歴史を記録して行くようなことはやめた方がよいのではないかというような感想も持ったものである。
(皮肉独白:政治的影響力狙いの歴史学者は信用出来ないということ・・・・。)
以上、90ページ位までしか読んでいないのだが、本の趣旨とは離れて文中の文言に連想した感想である。
(関連記事)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
No.189 韓国の考えは変わるものなのか (2013.10.14)
No.212 嫌われる勇気_ひとに仕切られないで自分を生きる (2014.03.10)
No.520 どうしようもないことを前提に_対韓国 (2019.05.22)
No.523 いまの歴史戦の端緒_仕掛けたのはどっち (2019.06.10)
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