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  偏見ご免のたわごと編:  No.180
気になること_日韓首脳会談に思うこと 2022.11.14
  11月13日岸田総理大臣はASEAN・東南アジア諸国連合の首脳会議に出席のため訪問しているカンボジアで韓国のユン・ソンニョル大統領と会談したということである。安全保障関連のはなしが主だったらしいが、私が気になったのは徴用など両国間の懸案をめぐって外交当局間で活発な意思疎通が行われていることを評価し早急な解決に向けて協議を続けていくことで一致したと報じられているところである。

条約や約束に沿わないことを一方的にやったり、友好国と思っていたら突然敵国扱いでレーダー照射したり、そういう信義に悖ることを始めたのは韓国であるという印象を私は持っているが、同じそういう認識からかネットに、問題の解決に日本が協力するということが韓国の誤った主張を認めて相手の土俵にのるということなら、約束を破ったりすることをこれからも認めるようでまずい外交だというような記事もあった。

最近読んだある本「バカと無知・人間、この不都合な生きもの(橘玲著・新潮新書)」から私がそう理解したのだが、リベラリズムは、自分が自由に生きるとはあなたも自由に生きられるという自由の相互性・普遍性が基礎なのだが、リベラルを目指す社会運動がリベラル化を進めるに当たって誰も変えられない属性による差別はどんな理由があっても許されないという絶対的正義の基準を決めてしまったということのようである。

そして私が見るところその基準を建前として政治にも援用する国が出て来て、そのひとつが韓国のようである。リベラル化への疑問、「過去の愚行は永遠に許されないのか、許される愚行と許されない愚行はだれがどのような基準で決めるのか」という論議を拒絶して、過去の行為はどれほど謝罪しても未来永劫許されないという主張をする。韓国ではそれを被害者中心主義と言っているようである。中国は戦略的建前か本気かは分からないが同様な主張をしたりするようである。

またそのある本によれば、脳の基本的仕様は被害を極端に過大評価し、加害を極端に過小評価するようになっている。被害の記憶はものすごく重要だが、加害の記憶になんの価値もない。これが人間関係から国と国(例えば日本と韓国)との歴史問題まで、事態を紛糾させる原因になっているということである。被害者側と加害者側では同じ出来事をまったくことなるものと認識しているから、自分(例えば韓国)は絶対的正義で相手(例えば日本)は絶対的悪だと言い募って議論は収拾つかないことになるようである。

そういう見方からすれば、韓国が被害と加害をセットで考えるようにならない限り、事態は根本的に収集されないと思われる。日本は韓国と今後何か約束や取り決めをするとしても、それを破られたときどうするかという対応策を用意したうえで外交に当たるのがよいと思われる。いまの外交がそうしているのであるならばそれでよいのだが、私は何の手もなくひっくり返されるままのおめでたい外交をして欲しくないと思っているのである。


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