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11月13日岸田総理大臣はASEAN・東南アジア諸国連合の首脳会議に出席のため訪問しているカンボジアで韓国のユン・ソンニョル大統領と会談したということである。安全保障関連のはなしが主だったらしいが、私が気になったのは徴用など両国間の懸案をめぐって外交当局間で活発な意思疎通が行われていることを評価し早急な解決に向けて協議を続けていくことで一致したと報じられているところである。
条約や約束に沿わないことを一方的にやったり、友好国と思っていたら突然敵国扱いでレーダー照射したり、そういう信義に悖ることを始めたのは韓国であるという印象を私は持っているが、同じそういう認識からかネットに、問題の解決に日本が協力するということが韓国の誤った主張を認めて相手の土俵にのるということなら、約束を破ったりすることをこれからも認めるようでまずい外交だというような記事もあった。
最近読んだある本「バカと無知・人間、この不都合な生きもの(橘玲著・新潮新書)」から私がそう理解したのだが、リベラリズムは、自分が自由に生きるとはあなたも自由に生きられるという自由の相互性・普遍性が基礎なのだが、リベラルを目指す社会運動がリベラル化を進めるに当たって誰も変えられない属性による差別はどんな理由があっても許されないという絶対的正義の基準を決めてしまったということのようである。
そして私が見るところその基準を建前として政治にも援用する国が出て来て、そのひとつが韓国のようである。リベラル化への疑問、「過去の愚行は永遠に許されないのか、許される愚行と許されない愚行はだれがどのような基準で決めるのか」という論議を拒絶して、過去の行為はどれほど謝罪しても未来永劫許されないという主張をする。韓国ではそれを被害者中心主義と言っているようである。中国は戦略的建前か本気かは分からないが同様な主張をしたりするようである。
またそのある本によれば、脳の基本的仕様は被害を極端に過大評価し、加害を極端に過小評価するようになっている。被害の記憶はものすごく重要だが、加害の記憶になんの価値もない。これが人間関係から国と国(例えば日本と韓国)との歴史問題まで、事態を紛糾させる原因になっているということである。被害者側と加害者側では同じ出来事をまったくことなるものと認識しているから、自分(例えば韓国)は絶対的正義で相手(例えば日本)は絶対的悪だと言い募って議論は収拾つかないことになるようである。
そういう見方からすれば、韓国が被害と加害をセットで考えるようにならない限り、事態は根本的に収拾されないと思われる。日本は韓国と今後何か約束や取り決めをするとしても、それを破られたときどうするかという対応策を用意したうえで外交に当たるのがよいと思われる。いまの外交がそうしているのであるならばそれでよいのだが、私は何の手もなくひっくり返されるままのおめでたい外交をして欲しくないと思っているのである。
補足: 韓国の戒厳令_国民はどういう国を望んでいるのか
2024.12.06
韓国で大統領が戒厳令を宣布したが1日も経たずに解除された。戒厳令宣布した理由は大統領個人の決断だったのかどこかの誰かの唆しなのか分からないが、何か裏があるようで気になる。その後の大統領弾劾を要求するデモなどはそれはそれで致し方ないとは思うが、それに至る以前に国会を北朝鮮シンパ的な野党多数にしてしまっているのを見ていると国民の国家観がどうなっているのかということの方が気になってしまうのでる。
野党も党名に民主という語を含んでいるのだが、文在寅大統領の北朝鮮シンパ的な印象が強くその流れをくむ勢力に私は偏見かも知れないが不安を持っているから以下のような感想を持つのかも知れない。
自分たちの国は民主国家だと言っているのだが、それならば北朝鮮とか中国とは異なるわけである。政治的に北朝鮮あるいは中国がよいのか、そうでない民主国家がよいのか。そのときそのときでコウモリのような選択をするようで確固たる姿勢を維持しているように見えないのが気になるのである。
自由で民主的な国家を望みながら、国内事情の不満から北朝鮮シンパ的な勢力を政治的には選んでしまうという確固たる国家観のなさが気になるわけである。反日であってもそれはそれでよいとは思うが、政治的に北朝鮮シンパ的な思想は民主的国家であろうと思えば相容れないはずだが、そういう姿勢があいまいなのが気になるのである。
民主的勢力として大統領を選んだのならその思想を貫いた体制を維持しながらその中で不満の改善を求めて行けばよいと思うのだが、不満があると刹那的に北朝鮮シンパ的な勢力でも選んでしまうのが韓国の国民性のような気がして気になるわけである。
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