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  偏見ご免のたわごと編:  No.063ap2
日本の抑止力_その2・敵基地攻撃能力の論議について 2021.12.10
  10月の衆議院議員選挙、あるいはその前の自民党総裁選のときにも話題になったなかで、私が気になっていること二点についてのことである。これからの国会で議論されるかと思われる。高齢の私には、もう将来どうなろうが自分に問題が降りかかって来るはなしではないのだが、子や孫たちには影響して来る。そう思えば、これから日本がどんな国に成って行くのかと心配になるので、よく論議してほしいなと思っていることである。以下敵基地攻撃能力の論議についてである。

まず敵基地攻撃能力という言葉を聞いて私が思うのは、どう国を守るのかという課題をその言葉で代表して言っているのだと考えるべきということである。例えば相手からミサイル攻撃を受ける可能性があるとして、そういう攻撃をさせないためにどうするかということが、いまの時代敵基地攻撃能力という言葉を使う場合の意味合いである。敵基地攻撃能力という言葉を相手に戦争を仕掛けることを容認するものであるかのように受け取って拒絶反応を起こすのではなく、相手からわが国が攻撃を受ける事態にどう対処するか、その在り方について言っている言葉だと思って論議した方がよい。

敵基地攻撃能力を論議するということは、わが国を攻撃したら手ひどい損害を受けるからと、相手にその攻撃を諦めさせる手段・方法をどうするのかというはなしである。そしてその中には、もしそれが功をなさず攻撃を受けた場合の反撃の手段・方法も含まれるわけである。そしていろいろなシナリオに対応できるように外交力や軍事力をどう展開あるいは整備していくかということである。日本は専守防衛でこちらから攻撃を仕掛けることはないといくら言ってみても、日本を攻撃するしないは相手が決めることであって、日本がしないから相手もしないということにはならないからである。

つまり主目的は相手に攻撃を始めさせないためにどうするかであり、もし攻撃をして来た場合その事態にどう対処するかということはその課題の中の検討項目のひとつだが、抑止力の主要素としてどういうやり方が効果的かということである。この議論は、周辺情勢や世界情勢をどうみるかということが出発点である。そしてそれらに対しどう対処していくのかということである。誰でも戦争は嫌であるが、政治家なら周辺情勢や世界情勢を見て最悪事態にどう備えるか、外交力や情報力や軍事力などの総合力として抑止力をどう考えているか、その考えをきちんと説明し論議してほしい気がしている。


補足: したり顔でその前にと言うひと_みんなはもっと先を見ている
2022.05.21
ウクライナ事態もあってかここのところ攻撃に対応する力についての論議が多いが、それに対してまずは戦争を如何にして回避するか、やらない為にはどうするか、そういうことに知恵を絞るべきということを言うひとを見かけるが、それはほとんどのひとは分かっているし政府は外交などで努力はしているわけである。そしてそれだけに注力していたら相手が攻撃をして来ないと考えることは大間違いだということも知っている。だから対応力をどうするかという議論が出て来るわけである。やらないように知恵を絞ろうと言って対応力整備をおろそかにすれば、ならず者に攻めむ隙を与えるようなものである。なにしろ攻めて来る来ないはこちらではなく相手が決めることであり、現にそういうことをしそうな国はある。もし攻め込まれた場合どうするかについての意見を言わず、その前にと言うひとはただ平和論者だと粋がっているように見える。


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