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私は、日誌編や偏見ご免のたわごと編の既発行記事に状況の推移や関連する気がする出来事などがあったときに、その内容や感想などを補足記事として追加している。以下は昨年初めころからの偏見ご免のたわごと編で私が関心を持っている記事に補足した内容をピックアップしたものである。
(ピックアップ対象の元記事とその順は以下のとおり)
・2015.06.29 No.290 安保法制論議_違憲・合憲論議に関心はない
・2014.01.14 No.204 日本の方がよいか中国の方がよいかが問われているか
・2014.05.26 No.226 自衛権_個別的も集団的もなさそうだが
・2015.05.24 No.283 世界遺産_韓国が明治産業革命遺産登録反対
・2015.03.01 No.269 中國の言う日本が背負っている歴史の重荷
2015.06.29
No.290 安保法制論議_違憲・合憲論議に関心はない
(元記事概要: 周辺および世界の現実的情勢をどう考えどう対処するかが論議の出発点であるべき。対処に必要なら現時点ではどんな解釈でもしてすり抜けるしかない。)
補足2: 日中中間線付近でガス田採掘施設増設_日本また自責点か
2015.07.24
安保法制の必要性を認識させようとする政府の作戦かどうか知らないが、政府は日中で共同開発する約束を反故にして中国が独自で12基のガス田採掘リグを増設しているとしてその証拠写真を公表した。表立っては言わないが増設は軍事的目的の可能性が高いという見方はそのとおりのような気がする。しかし場所は、最初中国が施設建設をし日本が問題視し始めた当時の折衝で相互の主張するEEZ領域が折り合わない中で、日本が日中中間線という概念を言い出したのだが、その中間線の中国側である。そこは日本が中国側と見做していると言ったに等しい領域なので中国が強引にやっても文句がつけにくい。外交的にあとあと自分たちに不利になるかもしれない中間線を自分たちの方から言い出したつけが回って来たのかも知れない。明治産業革命遺産の登録に際して玉虫色表現で韓国と事前に協力合意したが、結果は強制徴用問題を攻撃材料として温存しようという韓国の作戦に引っかかってしまった。そういう玉虫色のどっちでもとれる表現で問題を先送りしあとでつけを払わされる体質は以前からあるいは中間線言い出しの頃からあったわけである。
補足3: 法的安定性は関係ないという発言について
2015.07.30
礒崎陽輔首相補佐官が安全保障関連法案について「法的安定性は関係ない」と述べた件が国会でも問題になっている。私もある意味で礒崎氏に似た意見である。違憲・合憲論議に関心はない。周辺および世界情勢の現実をどうとらえそれにどう対処すべきかという論議が違憲か合憲かという論議に優先してなされるべきで、そういう意味では違憲か合憲かと法的安定性を問う論議と関係なくいま必要な安保法制がいかなるものかをまず論議すべきである。礒崎氏もそういう意味で言ったのではないかという気がしている。それにしても粋がって言わなくてよいようなことを言う困り者が偉くなっているみたいである。
2014.01.14
No.204 日本の方がよいか中国の方がよいかが問われているか
(元記事概要: 2013.12.28のニュースよれば沖縄県仲井真知事が辺野古埋め立てを承認した。私は一歩でも良い方向に向かえばそれをなすべきではないかと思っているから、現状改善に何の現実的改善案も持たずその決断を批判するひとや勢力にはうんざりしている。平和がよい、戦争は嫌、基地はいらない。そうであることに越したことはない。誰でも死にたくない。自分の気持だけ考えればそれを言い募ることになる。そういう自己中心の気持ちだけ主張してその結果自分たちの望む暮らしが到来するのかは周辺および世界情勢などを見れば疑問である。自分のあるいは日本人の気持ちだけ主張していては済まないいまの時代をどう凌ぐか。それがいまの日本の課題だという観点も忘れないで欲しいものである。)
補足1: 名護市市長選・現職移設反対候補当選らしい
2014.01.20
基地移設は嫌、戦争はもうごめん、沖縄のことをどう考えているんだ、という気持ちは分かるが、その気持を通して行ってそのあとどういう道筋で沖縄をどういう姿にしていくのか、住民や候補者あるいはその支援者のそこを語る言葉が聞こえなかった気がして心配である。
補足2: 翁長知事・前知事の辺野古埋め立て許可取り消しするとか
2015.08.03
2014年11月16日の沖縄県知事選挙で辺野古埋め立て反対を掲げ当選した翁長知事が前知事の辺野古埋め立て許可取り消しするとか言っているようである。私は県が国の安全保障に関する事柄に国と対等の立場であるかのごとく自己の主張をすることに違和感を覚えている。そういう行動の自由も許す日本ではあるが、そういうことが出来る日本が存続していくためには自由を守るための義務を果たすべきであって自己中心的主張一辺倒ということには違和感があるわけである。
翁長知事が主張する普天間飛行場県外移設にしろ革新が主張する閉鎖・撤去にしろ実現するのは不可能である。小泉首相時代に県外移設先を探したがどこも総論賛成各論反対だという言葉を残し断念した。鳩山政権でも少なくとも県外移設と見得を切りながら県外移設先を見つけることができず普天間しかないと最後は言うはめになった。いまは県外移設は不可能なのである。それなのに翁長知事は県外移設がすぐにでも実現するような錯覚を県民に植え付けて当選してしまった。自民党・民主党政府が探してないものをあるかのごとく主張するのならば、自分が探した県外移設場所を政府に示す必要がある。出来ないことを煽っていたのではないことを証明する必要がある。県民に県外移設出来ると錯覚させたのでなければそうする必要があるのである。
2014.05.26
No.226 自衛権_個別的も集団的もなさそうだが
(元記事概要: 憲法はその前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」その結果として定められているとよく言われている。諸国民のうちに公正と信義に信頼できない状況が発生している場合には、9条の前提条件が崩れるわけである。そして私の見る限り前文の条件は理想実現の暁のことであり、理想実現までの間は現実対応するしかないわけである。私はそれには個別的も集団的もないと思うが、いまいわゆる集団的といわれるところを的に現実対応の見直しをしようというのが集団的自衛権論議だと思われる。日本は戦争を仕掛けられるのを抑止するために仕掛けられたならば受けて立つ、すなわちそのための戦争ができる国であることを明らかにしておく必要がある。)
補足3: 戦争は嫌、いまのまま平和でと言うひとたち
2014.06.22
TVの街頭インタビューでいわゆる庶民の意見を聞いている番組を見ての印象だが、集団的自衛権行使容認に反対だというひとの多くが、平和でいてほしい、戦争は嫌だ、なのに戦争に巻き込まれることになりそうだからという理由を挙げている。その言い分で行けば、相手が軍事力をバックに外交を仕掛けて来るとき、わが方は軍事力のバックアップがなく戦争を仕掛けられても反撃はしないということだから、結局は戦争のない平和状態を続けるためには相手の言い分に従うしかないことになってしまうわけである。話し合いで解決するのが第一なのはどんなときでも当然でその努力はするのだが、相手がプレッシャーを感じない話し合いでは、上手く行っても話し合いの結果は相手の方に分があるかたちで決着する可能性が高いわけである。それを繰り返して最終的には話し合いで相手の軍門に降るわけである。
そこで話し合いだけでという人たちには、相手の軍門に降った時のことを想像してもらう必要があるのである。相手の軍門に降った将来をそれでよしというなら致し方ない。しかし平和でいてほしい、戦争は嫌だと言っていられるいまのようなわが国であって欲しいならば、軍事力をバックにして外交を仕掛けてくる相手に対抗するためにわが方もそれなりの外交をバックアップする軍事力が必要なのである。わが国に戦争を仕掛けては損だと思わせる要素を外交力に付け加える必要があるのである。ところが、嫌だ嫌だではなく、どの程度付け加えるかあるいは何をどれくらい付け加えるかというはなしにまで行く庶民の姿はなかなかTVで見かけない。
補足5: 憲法審査会参考人が全員憲法違反だと述べたとか
2015.06.04
自民党が推薦した参考人も含め、衆議院の憲法審査会に参考人として出席した憲法の専門家3人が、いずれも今の国会で審議中の新たな安全保障法制について憲法違反との考えを示したそうである。いずれも大学の教授ということだが、世界情勢の中で日本が置かれている状況でどう解釈すべきかという見方が欠けているような気がする。憲法を守れと言って何もしなければ国が滅ぶかもしれないのだから、どうやったらそうならないで済むかという視点でものを見る必要がある。
2015.05.24
No.283 世界遺産_韓国が明治産業革命遺産登録反対
(元記事概要: 歴史に抱く思いはあっても、当時条約などで裏付けられ推移してきた過去を歴史として認識するしかいまの人間には出来ない。いまの思いで過去を解釈しようとするには無理がある。それにしても文化遺産というなら自国で保護・保存可能なら他の権威を借りることはないのに、いまの登録活動の印象は世界遺産に登録すること自体が目的になっているようで違和感がある。)
補足1: 明治産業革命遺産の登録決定_韓国の作戦に引っかかる
2015.07.06
日本は一応強制収容所的印象を避けるべく玉虫色の表現で韓国を躱したつもりが、韓国外相はその表現は強制徴用を認めさせたもので日本に勝ったと公言する有り様である。韓国外相が事前来日し関係改善を装い両国案件の登録に互いに協力しようと言った真意は玉虫色の表現で登録に持ち込み攻撃材料は捨てないままの体勢持続を狙ったものだった。巧妙に先手を打って引っ掛けに来た。その韓国の作戦に日本はまんまと引っ掛かったわけである。大統領が恨みは千年消えないと公言しているわけである。これから千年恨みを晴らす行動を止めないと言っているわけである。それを知りながらあるいはそれをまともに受け止めず、うぶな甘い考えで韓国につけ込まれる隙を与える外交姿勢はもうやめた方がよいのではないかと思われる。自分の思い込みで嘘の歴史ストーリーを組み立て主張し、それを受け入れない相手を正しい歴史を認めないと世界中に向かって間断なく非難し続ける。そして約束は反故にする。そういう嫌な隣人国家とどう付き合っていくか、日本もシビアな作戦で応戦してほしいものである。
2015.03.01
No.269 中國の言う日本が背負っている歴史の重荷
(元記事概要: いまの日本の歴史の重荷とは、中国が表向き否定しているところの見解である「中韓が日本の侵略の歴史の問題をつかみ続けて放さなさないこと、中国が歴史問題で日本を批判し日本抑止のカードにしようとしていること」そのものである。いまの中國がする歴史認識批判は戦後に条約などで日本に重荷を下ろさせた歴史をないもののようにして、その後日本が歩んできた新しい歴史に実態のない重荷を負わせようとしていると見えるわけである。なぜそうするのかと言えば中国は日本を狙らっているからである。中國の意図を挫くか将来中國の属国になってもよしとするかという観点から日本のあり方をもっと深刻に考えないといけない。)
補足1: 韓国へ_取捨選択して必要なことだけ記憶した歴史を言わないで
2015.03.03
韓国大統領が未来50年の韓日パートナー関係に対する希望を表明したという3月1日の三一節(独立運動記念日)96周年記念演説でアレクシス・ダデン米コネチカット大教授の歴史は取捨選択して必要なことだけ記憶するのではないという言葉を引用し、未来50年の韓日関係のためには日本が歴史的な事実をありのままに直視して認める姿勢が必須だというようなことを述べたようである。歴史を取捨選択して必要なことだけ記憶してもの言いをしているのは韓国自身でもあるという事実を棚上げして矛盾したことを言っている。同じ言葉をオウム返しで韓国に言ってやりたいものである。
補足2: 中國のものの考え方の間違い
2015.06.05
「習近平の中國(宮本雄二著・新潮社新書)」を読んだ。その中での次の指摘が印象に残った。中國の考え方は「中國の基本的国策は平和と発展であり、世界の平和と発展のために大国としての責任を果たし尽力する。しかし領土や主権、海洋権益といった中國の生存と発展のために必要不可欠なものについては、一切譲歩しない」ということなのだが、その言うところはつまり「自分たちの核心的な権利や利益を侵犯することは決して許さないという姿勢と、世界の平和と発展のために努力することは両立すると考えている」ということである。「中國の権利や権益を守るのは当然であり、侵犯するのは相手が悪いのだから、世界の平和と発展を損なっているのは相手だという理屈に」なっていて、「正しいか正しくないかを自分たちで決めることが出来る」、つまり「世界大国になれば何が正しいかを自分が決めることができると考えているが、それは大間違いである」ということである。
尖閣問題についての見方も私が感じていたとおりで印象に残った。「物理的な力による現状の変更」が行われたかどうかが、議論の鍵である。「石原元都知事の尖閣購入の動きが引き金になったのは事実だ」から日本側に全く責任がないというわけではないが、「これは国内法に基づく所有権の個人から政府への移転であって」、「外国政府が所有権を得たからといって、その土地が外国の領土に変わるものではない」から、「国際法上の尖閣の地位に何の影響も与えるものではない」。「中國は尖閣の国有化を日本が本質的に現状変更した証拠だと騒ぐが」、それは当たらない。「中國の法的執行機関が公船を尖閣の領海に送り込み、物理的な力によって現状を変えようとすることとは本質的に異なる」。「日中関係の現状を力で変えようとしているのは中國であって、日本ではない」ということである。
補足3: 中国は歴史の結果であるいまを受け入れるのか
2015.06.29
27日のことらしい。北京で開催された世界平和フォーラムの講演で中国の王毅外相が「発展した隣国を日本は受け入れるか」と問うたということである。私は王毅という人物は駐日大使時分からその発言の仕方や振る舞いが日本を小馬鹿にしているようなところがあって好きでない。アメリカは内心がどうか知らないが歴史については、いまの状態を歴史の結果としてそれを認めて過去をあげつらうことはしないが、歴史の結果であるいまを認め未来を考えるのではなく過去の歴史の解釈にこだわってそれを歴史の結果であるいまを変える手段にしている中国と韓国の手前勝手の言い分とやり方には辟易するところがある。
答えは決まっている。中国は国際法概念が薄く発展した国とはいえないし、周辺国属国化を目指すむかしの体制に逆戻りしつつあるし、共産主義の軛からも開放されていない。発展は腕力が強くなってみかけは大人の国になったのだがその振る舞いに危うげな面を残しているのだから難しいということだと思われる。中国の政治体制では外相には権力はないというはなしだから、王毅外相も中枢の代弁者である。そしてその発言の恫喝的ともとれる表現は王毅外相の表現法かも知れないが、そこに強圧的に相手を変えようとする自己中心的態度の中国の姿勢は現れていると思われる。
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