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安保法制が国会で審議中である。学者や参考人などに違憲という人が多い。私は違憲・合憲論議に関心はない。私の見たいくつか報道番組の解説者なども法律案がよく分からないと言うひとが多く、その心はと言えば批判的意見を持っているが中立的姿勢を装ってそうコメントしているように見える。報道番組の解説者などが、よく分からないから政府がよく説明することが必要だと言うが、報道関係者がよく分からないと言うのには違和感がある。政府の説明その他を分かりやすく国民に伝える役目の報道機関が、分からないと言って批判的雰囲気を煽っているだけで、その役目を果たしていないように思えるわけである。付け火して煙喜ぶ愚か者では困るわけである。
そもそも法案が出て来た背景、つまりは日本を取り巻く周辺及び世界の情勢をどう見ているのかを解説しなければはなしは始まらない。賛否両勢力がどう情勢認識しているかを深層にわたって調査してみなければならない。そしてそれらの信憑性について評価しなければならない。また各々の勢力が情勢の把握にもとづいて、賛成なら政府・与党のようにこういう対応が必要だ、反対なら何の対応もなしにあるいはこういう対応が必要になる。そしてそういう対応をした暁に日本がどういう姿になって周辺と世界の情勢のなかで存在していくことになるのかを分析し解説してもらわなければ、報道機関を通して政治を見ている国民には分からないのは当たり前である。
賛否両勢力に違憲だ合憲だのと言葉合戦をさせようと煽るのは報道機関の役目ではない。賛否両勢力に情勢認識、それに基づく対応政策、その政策でその情勢に対応するとしたときの想定結果・日本はどうなっていることになるのかを問うて相互比較出来るように論争してもらうことが報道機関に求められていることなのである。いま国民が納得しないと言っているのは国民の判断ではなく報道機関の判断である。自分たちの判断でバイアスを掛けた解説をするのは報道機関の思い上がりである。ただいまだけの存在感をアッピールする政治家や勢力とそれに追従するような解説をする報道機関が幅を利かせているようでは心配である。
私は、いちばん政府・与党が周辺や世界の情勢を分析しいまの日本が備えなければならない事態を知っていると思っている。直接的情報や外的圧力を肌で受け止めているのは政府なのだから当然である。その中で日本がどう立ちまわって生き延びていくかが課題である。しかし政権あるいは首相が将来の例えばアメリカからも自立した日本を目指していまはこうするというような腹にある真意を表明する訳にはいかないかも知れない。そしてそういう日本の将来を考えた真意を継承するほどの肝胆相照らす腹のある政治家や勢力がいるかどうかも問題である。しかし私はその真意を論議の様子から感じ信じるところがあればと思っている。
私は昨今の周辺や世界情勢のなか日本の先行きが不安で、その不安に備える必要があると思っている。私の感覚があっているかどうかは分からない。そういうわけで、私は各勢力の主張の基礎であるべき周辺や世界情勢に対する洞察に納得できるかどうかという観点から出発して安保法制論議を見ている。今後の周辺や世界情勢に対処できず国がどんなかたちであれ滅びる恐れがあるなら、そうならないように備えなければならない。何が何でも生き延びるように憲法でも何でも解釈しすり抜けるしかないわけである。これが私の違憲・合憲論議に関心はないという理由である。
オリンピックだって何の練習もせずにいたら開催時期になって、それお前が代表選手だと言われ良い成績を挙げることは難しい。国家の備えだってそのときになって大変だでは済まないのである。だから周辺や世界情勢に対する洞察とそれに基づく対応策および想定される対応後の姿について賛否両勢力で本質的な論議をして欲しい。その結果、いま備えることが必要ならそれなりの対応が可能な法制を定めて、日本が周辺や世界情勢のなかでうまく立ち回って行くしかないのではないかと思っている。
補足1: 沖縄は未だ占領地_アメリカに戻せば・・・
「アメリカと中国は偉そうに嘘をつく(高山正之著・徳間書店)」という本を読んだ。その中に沖縄は未だアメリカの占領地である。施政権返還は沖縄の維持費をアメリカに代わり日本が負担することになったという意味であるというようなことが書いてあった。日本は沖縄を他の日本と同じようにして行こうと精一杯やって来たが、占領地では日本の思い通りには行かない。日本が自立して名実ともに沖縄が日本になったらそれなりの沖縄になるかも知れない。いまの沖縄の風潮には日本の中の被害者という意識が蔓延していてその現実から目をそらしている様相だが、それなら沖縄をアメリカに戻して実状に合わせたらどうかというような意味のことも書いてあった。沖縄が本当に日本に戻るのは日本が本当に自立したときだとすれば、まずは日本が自立するために周辺と世界情勢の中でうまく立ち回って行かねばならないわけで、深く考えいまはこうするのがよいというのが今回の安保法制だということかもしれないわけである。
補足2: 日中中間線付近でガス田採掘施設増設_日本また自責点か
2015.07.24
安保法制の必要性を認識させようとする政府の作戦かどうか知らないが、政府は日中で共同開発する約束を反故にして中国が独自で12基のガス田採掘リグを増設しているとしてその証拠写真を公表した。表立っては言わないが増設は軍事的目的の可能性が高いという見方はそのとおりのような気がする。しかし場所は、最初中国が施設建設をし日本が問題視し始めた当時の折衝で相互の主張するEEZ領域が折り合わない中で、日本が日中中間線という概念を言い出したのだが、その中間線の中国側である。そこは日本が中国側と見做していると言ったに等しい領域なので中国が強引にやっても文句がつけにくい。外交的にあとあと自分たちに不利になるかもしれない中間線を自分たちの方から言い出したつけが回って来たのかも知れない。明治産業革命遺産の登録に際して玉虫色表現で韓国と事前に協力合意したが、結果は強制徴用問題を攻撃材料として温存しようという韓国の作戦に引っかかってしまった。そういう玉虫色のどっちでもとれる表現で問題を先送りしあとでつけを払わされる体質は以前からあるいは中間線言い出しの頃からあったわけである。
補足3: 法的安定性は関係ないという発言について
2015.07.30
礒崎陽輔首相補佐官が安全保障関連法案について「法的安定性は関係ない」と述べた件が国会でも問題になっている。私もある意味でそういう意見である。違憲・合憲論議に関心はない。周辺および世界情勢の現実をどうとらえそれにどう対処すべきかという論議が違憲か合憲かという論議に優先してなされるべきで、そういう意味では違憲か合憲かと法的安定性を問う論議と関係なくいま必要な安保法制がいかなるものかをまず論議すべきである。礒崎氏もそういう意味で言ったのではないかという気がしている。それにしても粋がって言わなくてよいようなことを言う困り者が偉くなっているみたいである。
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