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  たわごと編: No.226  
  2014.05.26 自衛権_個別的も集団的もなさそうだが  
 
  日本で集団的自衛権行使を認めるかどうかが、政治の課題として論議され始めている。自衛権に個別的、集団的という概念を導入したのは国連が出来てからであるらしい。そして個別的自衛権は他国からの武力攻撃に対し実力をもってこれを阻止・排除する権利、集団的自衛権(国連憲章において初めて明記された概念)は自国と密接な関係にある他国に対して武力攻撃があった場合に自国が直接に攻撃されていなくても実力を以って阻止・排除する権利というのが一般的な見解である。

集団的自衛権を行使するかどうかは攻撃を受けていない第三国の権利ということになる。実際に集団的自衛権を行使するかどうかは各国の自由であり、通常第三国は武力攻撃を受けた国に対して援助をする義務を負うわけではなく国際慣習法上、武力攻撃を受けた国がその旨を表明することと攻撃を受けた国が第三国に対して援助要請をすることが集団的自衛権行使の要件とされているようである。

さて、憲法9条との関連である。憲法はその前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」その結果として定められているとよく言われている。諸国民のうちに公正と信義に信頼できない状況が発生している場合には、9条の前提条件が崩れるわけである。そして私の見る限り前文の条件は理想実現の暁のことであり、理想実現までの間は現実対応するしかないわけである。私はそれには個別的も集団的もないと思うが、いまいわゆる集団的といわれるところを的に現実対応の見直しをしようということだと思われる。

また平和ということについてである。政治的概念かどうかは知らないが、世界で平和とはどういうことと捉えられているかと言えば、戦争や内戦で社会が乱れていない状態のことである。しかし私の見る限り日本では、平和と言えば気分的な感覚での言葉としての平和である印象がある。自分の嫌なことがないあるいは起こらない環境が、平和という呪文を唱えれば保たれると思い込んで、平和を維持する努力に目を向けたがらないひとは集団的自衛権行使と聞けばすぐその意味するところを考えず短絡的に戦争が出来る(好戦的な)国になるとか他国の戦争に巻き込まれるなどと言い出す傾向がある。

北方領土は先の戦争終結時為す術のない時期に奪われてしまった。それ以降では戦後、日本の体制が整わない時期に韓国に竹島を占領されてしまった。また韓国では対馬も自国のものだという輩の言動をいまも許している。そしてまたいま、中国は尖閣にチョッカイを出してきている。沖縄も狙っているというはなしもあるし、日本を属国にする青写真まであるというはなしもある。さらにまたアメリカを頼りにするにしてもアメリカがいつどう日本をもっと軽んじるか分からない。多分日本はいままでにも増して対アメリカも含めたスマートな外交とそれを裏打ちする実力の強化が求められていると思われる。そしていま集団的自衛権を行使する事態とか条件についての論議が必要になって来たのである。

集団的自衛権行使に反対するひとたちはどんなときでも行使しないで切り抜けられる方策があってしているのかも知れないがそれが見えない、あるいは言っていることに現実感がない。国家、国民がどうなっていくのか思い描けないような論には付いていけない。それら集団的自衛権行使に反対するひとは例えば中国に対しては日本は反撃しないと言っているに等しく、中国が戦争を仕掛けてくるリスクを高めているだけである。中国や韓国は戦争が出来る国である。その国が日本が戦争できる国になることを非難する矛盾に気が付かなければならない。非難するなら中国や韓国が戦争の出来ない国になってからにしてほしいものである。

日本は戦争を仕掛けられるのを抑止するために戦争のできる国になる。それで日本が戦争を仕掛けられなくなるわけではないが、それ以外に外交が破綻しそうになった場合戦争を仕掛けられそうになるのを防ぐ方法はない。 安倍首相は集団的自衛権行使に関する会見で「戦争のできる国にはならない」と表明したが、首相は戦争という言葉に自分から戦争を仕掛けるイメージを持つひとが多かろうからとそう言ったと思われる。真意は「日本からは戦争を仕掛けない」ということを言ったのだと私は思っている。そして大事なことは集団的自衛権を行使する事態とか条件であって今後のその論議を見て行く必要がある。

補足1: 憲法解釈にとどめれば軍国主義の復活はないのでは
憲法の制定も実質軍事力である自衛隊の前身創設もアメリカ占領下でのできごとである。見かけはどうであれ全面降伏した日本がアメリカの言いなりになっていた時期にアメリカの意向で作られたものである。朝鮮戦争が勃発してアメリカは憲法解釈で日本の軍事力復活を目論んで自衛隊の前身を創設させたが、日本はその後のアメリカの軍事力拡大要求をアメリカが創った軍国主義を復活させない憲法を盾にいなして来たし、今も日本はその憲法の制約下にあるわけである。いまの日本の軍事力はそもそもが憲法解釈の産物である。国家としての固有の自衛権をいまの憲法下でどう解釈するかということである。集団的自衛権行使容認で軍国主義が復活すると批判をするひとや他国は日本が軍国主義を目指しているというレッテルを貼りたいだけのような気がするが、憲法解釈にとどまる限りいわゆる平和憲法の縛りは続くのである。

補足2: いまの自分の考えをまとめて書くと
2014.06.13
憲法9条は改定しないでよい。自衛権は個別的・集団的と言わず現実の情勢に対応できるものは行使出来ると憲法解釈するが憲法制定の基本理念は遵守する。そして国家としてはスマートな外交がまず先であり、その外交戦略・外交能力がまともに政府・国会で認識されている必要があるし遂行される必要がある。それを前提に自衛権行使についての具体的法制を議論することが大事である。一抹の不安は、自衛権行使により戦争確率を最小化するスマートな外交戦略・外交能力が有りや無しやということである。

補足3: 戦争は嫌、いまのまま平和でと言うひとたち
2014.06.22
TVの街頭インタビューでいわゆる庶民の意見を聞いている番組を見ての印象だが、集団的自衛権行使容認に反対だというひとの多くが、平和でいてほしい、戦争は嫌だ、なのに戦争に巻き込まれることになりそうだからという理由を挙げている。その言い分で行けば、相手が軍事力をバックに外交を仕掛けて来るとき、わが方は軍事力のバックアップがなく戦争を仕掛けられても反撃はしないということだから、結局は戦争のない平和状態を続けるためには相手の言い分に従うしかないことになってしまうわけである。話し合いで解決するのが第一なのはどんなときでも当然でその努力はするのだが、相手がプレッシャーを感じない話し合いでは、上手く行っても話し合いの結果は相手の方に分があるかたちで決着する可能性が高いわけである。それを繰り返して最終的には話し合いで相手の軍門に降るわけである。

そこで話し合いだけでという人たちには、相手の軍門に降った時のことを想像してもらう必要があるのである。相手の軍門に降った将来をそれでよしというなら致し方ない。しかし平和でいてほしい、戦争は嫌だと言っていられるいまのようなわが国であって欲しいならば、軍事力をバックにして外交を仕掛けてくる相手に対抗するためにわが方もそれなりの外交をバックアップする軍事力が必要なのである。わが国に戦争を仕掛けては損だと思わせる要素を外交力に付け加える必要があるのである。ところが、嫌だ嫌だではなく、どの程度付け加えるかあるいは何をどれくらい付け加えるかというはなしにまで行く庶民の姿はなかなかTVで見かけない。

補足4: 日中韓が原発規制当局者が極秘会合とか
2014.09.16
9月2~4日に中国と韓国の原発規制当局の幹部が来日し日本の原子力規制委員会と情報交換の非公開会合を持ったという報がある。中韓とも安全性への不安があるので日本のように規制強化したいというはなしもあるが、各国の安全保障をめぐる思惑もあるらしい。また別の報には、全面的な戦争に巻き込まれ全国に散在する原発にミサイルを打ち込まれれば日本は壊滅するというはなしが載っていたが、日本の安全保障政策において原発についてどう考えているのか、はっきりさせて今後の原発政策や集団安全保障関係法制に反映してほしいものである。

補足5: 憲法審査会参考人が全員憲法違反だと述べたとか
2015.06.04
自民党が推薦した参考人も含め、衆議院の憲法審査会に参考人として出席した憲法の専門家3人が、いずれも今の国会で審議中の新たな安全保障法制について憲法違反との考えを示したそうである。いずれも大学の教授ということだが、世界情勢の中で日本が置かれている状況でどう解釈すべきかという見方が欠けているような気がする。憲法を守れと言って何もしなければ国が滅ぶかもしれないのだから、どうやったらそうならないで済むかという視点でものを見る必要がある。

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