屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.328 屋久島(168): 丈夫でないこと  (H21.12.29)

昨年、町長が崖地購入疑惑で住民訴訟を起こされたが、結果は提訴の条件を満たさないと却下され、今は控訴審待ちのようである。原告サイドは町議選で同調勢力を伸ばしたいと願ったが、昨年12月の議会に疑惑そのものを調査する委員会設置を請願したが不採択となり、同調勢力の少ないことがあきらかになった。

その後の原告サイドのブログだか掲示板だかでは、審議した委員会の委員長や反対意見を述べた議員を非難するとともに、否決した議員のほとんどがまともに本を読んだり理論的な思考や議論をしたことは小学生の時ぐらいしかしたことのないレベルの低い人なのだからそのレベルに合わせた書き方で請願を続けるしかないというような表現で非難している。

また反対意見を述べた特定の議員については、反対理由に感情的側面があるとしてその資質に対し疑問を呈している。そして聞き及んだという当該議員の不適切行動やプライベートなことまで持ち出して、そういう人間が何回も当選するのは地元集落の民度が低いからだ。特に民度を下げているのは半分くらいにも達するかと思われる移住者の無関心である。いまにその罰を受けるぞと非難している。

裁判は却下、請願も却下で原告サイドは大分いらいらしているようで、自分たちの主張を理解しないあるいはそれに無関心のような議員や地元住民への非難に矛先を変えたような印象を受ける。裁判却下は裁判の証拠あるいは技術の問題、疑惑については当事者が責任を問われる問題であり、それらの追及が思い通りに進まないからといって、今の議員ほとんどが低レベルと決め付けるとか、その妻子への配慮を欠いて疑惑不問議員のプライバシーを取り上げて攻撃するとか、その議員を選んだとして地元集落やそこに住む移住者の民度が低いと非難するとか、自分たちの思うようにいかないことを他人のせいにしている感がある。

自分たちは正義を追及している。それが分らないあるいはそれに積極的にかかわらない議員や住民はバカだと言っているような感じがしてついていけないところがある。自分たちの言い分を聞き入れて自分たちが望ましいと思う決定をしてもらいたい相手・議員、あるいは望ましい議員を選んでほしい相手・住民を仇敵のようにバカ呼ばわりしている印象がある。協力してほしい人たちをバカにし見下して自分たちの言い分を噛んで含めるように言って分るようにしてやるからと言われても、バカにされた人たちは正義を標榜する人のあり方を信頼しない。信頼できなそうな人の言うことを聞く耳は持たないのである。だから盛り上がらないと思われる。

自分たちの言い分を分って、議員に望ましい決定してほしいなら、また望ましい人を住民に議員として選んでほしいなら、今の議員の認識を改めさせるように各人に説得や説明の積極アプローチすればよいではないか。議員選挙に向けて住民に状況説明や解説、推薦人物の売り込みをローラー作戦でやればよいではないか。しかし住民は正義だけで食っているのではない。原告サイドの言い分に完全反発しているのでもない。いろいろな事情があって態度には濃淡がある。いろいろな事情を理解して現実に通じた説得などをしないと、各個アプローチやローラー作戦をしても成果はあがらない。

正義かそうでないかのシロクロだけでは人はなかなか動かないのである。人はグラデーションのなかにちらばっている。散らばるのは何に重きを置いて生きているかということによるのであって、一事のシロクロに染まりきらないのである。ちょっと思い通りに反応しないからといって革命政府のトップが仲間を粛清するがごとく手当たりしだい切り捨て非難するのはいかがなものかと思う。原告サイドにはその辺を理解してもらって、協力を求める相手をバカにし見下すようなことを言わずまずは信頼されるようになるべきである。

以下私が読んだある本の感想の一部だがそれで結びに代える。「軟弱者の言い分」(小谷野敦著・昌文社)というエッセイ集がある。その始めに(目次の前に)「軟弱者の言い分-----まえがきにかえて」という文があって、その結びに、世の中をしきっているのは「丈夫な奴ら」である。奴らは自分が丈夫なのだという自覚がない。「奴ら」のヘトヘトは「軟弱もの」のヘトヘトと違うことが分からない。そして「丈夫な奴ら」の論理を振り回す。著者の叫びはこうである。[別役実の『天才バカボンのパパなのだ』という芝居では、一人だけまともな人物が、周り中バカに囲まれて、声をふりしぼるようにして「いいか、お前らはなあ、バカなんだぞおっ」という場面があるが、私も言いたい。お前らはな、頑丈なんだぞおっ、と。]、とある。

補足1:高裁でも却下のこと  [2010(H22).03.28]

地裁でのときと同様住民訴訟要件を満たさない・時効の判決だったようである。原告側はもう一度の機会・最高裁があると言っているようである。 私は時効の成否を争うよりは、提訴した本来目的・行政の健全化に向けた町内での具体的活動をしたらよいのにと思う。トップが変わらないと組織も変わらない。次の町長選に本当によい人物を探し立候補させられるか、そして当選させ得るかがもう目の前の課題になっていると思われる。

ところで最高裁への上告についてだが、民事での上告要件としては判決理由の食い違い以外では無理そうである。仮にそれを主張して上告しても今までの裁判資料を読んだ調査官がどう判断するか。裁判の法的不備以外での受理は万に一くらいの確率だそうである。

補足2:最高裁へ上告のこと  (H22.04.15)

上告(正確には「上告受理申し立て」と言うらしい)をしたとのことである。また原告は町長リコールについても言及しているが、リコール運動を自ら始めるという決意表明かどうかははっきりしない印象である。

補足3: 見る目が怪しげなこと  (H22.06.24)

最近の議会での陳情の採択で議長が原告の意に沿わず体制擁護の意見に同調したことを非難し、やはり議長になるだけのことはあると改めて感心したと皮肉っている。議長が原告サイドと思われるサイトへの投稿で正論を述べていたときには、さすが期待できる人物と持ち上げる評をしていたのにである。そのときそのときの言葉に反応して人を見ていない、見る目が怪しげである。言動の基礎がふらついているようで、それが付いていくには不安を感じさせているのではないかと思われる。

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