屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
                     Home > 目次_top  >  記事

No.323 屋久島(166): 損得勘定のこと  (H21.11.09)

2009年10月16日町長の屋久町時代の疑惑にかかわる損害賠償裁判(原告側サイトなどでの意見を見ていると町政の体質変革の手段としての提訴という面が強く感じられる)の判決が出た。訴えは住民訴訟の要件を満たさない(監査請求の時効)との理由で却下ということである。原告側は控訴したようである。この裁判に関連して「偏見ご免のたわごと編:No.276 ミステリーが好きなこと」に述べた私が興味のあった事柄については何の新しい知見は得られなかった。なぜ疑惑の行為をしたのかということについて今は亡き某国会議員の資金捻出絡みではないかという憶測記事がどこかのブログに出たくらいである。

この判決について、この裁判を支援していると思われる議員のブログに以前から町政体制刷新に関する意見を投稿しているひとがコメントしているのが目に付いた。今後控訴した場合時間と手間が膨大にかかり原告及びその支援者の負担が大変だと推測されるから新しい議会になったことでもあり議会での疑惑解明に活動の方向転換をしたらどうか、疑惑の事実関係は法廷で否定されていないのだからあとは住民が自らの努力ですなわち議会自らの努力で町政の不正を正すことにしたらという内容である。(なお、そのコメントは控訴以前のもので、控訴後は激励のコメントを寄せている。)

私はどちらかというと控訴前のコメントの線がよいのではないかという気がしている。熊本TODAY平成20年9月号に平成11年6月1日時点で屋久町商工会内部での「エコタウンあわほ」建設反対の声の中に株・昭栄の土地買収云々ついて指摘する声があったという内容が載っているから当時から崖地を買収する計画は知られていたと思われる。控訴しても原告が提訴のよりどころとした熊本TODAYでそう言っているのだから、まだ被告側が手の内を明かしていないこともあったりして予断は禁物という感じがする。

またそれ以前の感じとして町政の体質変革については以前から選挙によってでないと変革は難しいのではないかと思っていることもある。裁判結果で人に影響を及ぼせれば楽かもしれないが、裁判にかけたからといって行政の体質がすぐ変わるとは思えない。なんでも裁判にかける労力より選挙で体質を変革する勢力を得る方が大変である。しかしそれを避けては変革は出来ない気がしている。

選挙では批判や追求をしているだけではすまない。町長なら一人、議員なら過半数を得るくらいの意にかなう人材を見定めなくてはならない。それから彼あるいは彼らの具体的な改善案提示、事前活動での広報や支援者発掘をバックアップし、選挙活動では票集めをしなければならない。一度で結果が出るものでもないから継続的な泥臭い活動を選挙と選挙の間、そして選挙期間中と何回にもわたってしなければならない。そしてその活動が実を結べば町長あるいは議員が望ましい人物に入れ替わりその結果町政が変わる。それが件のコメントにある真っ当な努力というものではないかという気がしている。

勿論疑惑追及裁判を否定するものではないから、それは問題発覚の都度軽重を判断の上やると決めたら選挙活動と並行してやればよい。ただどんな体制でも行政ミスなどで疑惑追及類似の裁判に発展することはあり得るし、大抵は人を裁くよりことの正否を問うことが目的であると思われる。また控訴もあるとすれば最後の判決が出るまではシロクロはついてないあるいはつかないこともある。シロクロつくころには被告側が在任しているかどうか分らない。解任効果を期待している場合裁判の効果は低いように思われる。

さて今回裁判却下の判決となったが、賠償命令が出たとした場合と合わせて裁判の対価あるいは代償を町としての財政的収支という観点から見てみたい。その前にその原告側のサイトにある関連記述を抽出してみる。( )内は私の受け止めメモ。

・安房の崖地の購入費など約1億2千万円。土地の時価は地元の不動産3社の見積りでは1千5百万円程度。(今回裁判で賠償命令が出ればA円回収) (賠償額は請求額より低くなるかもしれない。例えば全体でいくらというはなしが見えてきて、他の土地が相場より安く、当該地が相場より高く割り振られている可能性もあり、実害が小さいと判断されることもあるかもしれない)

・6月会計検査院がエコタウンあわほの実地検査に入ることになったが、補助金や過疎債の返還を求められることは避けられないように思われる。中心市街地活性化事業の総費用は11億円余だからその何割か数億円の規模ではないか。こういうことがあれば類似の補助金などしばらく貰えなくなる。(時効にかからなければ、補助金などの返還B円、補助金などの減額C円)

以上の関連事項に限っての財政収支を見積もってみる。町長の損害賠償額あるいは土地買収損害額回収 A円、あわほ会計検査院検査結果での補助金・過疎債返還額 B円返還、将来の同類補助金等の減額 C円、とする。

A=例えば1億円(原告側サイトで戻ってくるとあがっている値)
B=例えば3億円
    (原告側サイトで11億円の何割かとあるので3割くらいと見て)
C=例えば9億円
    (原告側サイトの何年間かを3年、減額率を3割と見、補助金などを年
      10億円と見て)

賠償命令、返還命令、減額 の場合: A−(B+C)=−11億円
賠償命令、返還・時効、減額 の場合: A−C=−8億円
賠償命令、返還・時効、減額なし の場合: A=+1億円
賠償・却下、返還命令、減額 の場合: -(B+C)=−12億円
賠償・却下、返還・時効、減額 の場合:  -C=−9億円
賠償・却下、返還・時効、減額なし の場合: 0円

以上の例では賠償命令がでれば1億円町に入るが、一億円を超えるペナルティがある場合は町の収入が減るか持ち出しになる。財政減少分は住民にしわ寄せが来る。最後のケースは裁判も何もしなかったときと同じ現状維持状態である。原告側サイトでは補助金などの返還や減額を予想しているのだから勝っても負けても住民にしわ寄せが来ることは承知の裁判をしているということになる。今後しわ寄せが現実のものになったら、採算が合わないこと承知なら初めから真っ当な努力・選挙を主体とした活動をすればとか不問にしていた方がよかったのにと言うひとも出てくるはずである。

そういう批判に対抗していくためには、少なくとも発生する財政圧迫に見合う成果を町の変革で出さなければいけない。結局は選挙で変革の人を送り出さねばならないことになる。選挙の結果は住民の意思の表明である。今回の活動が地元民の支持を得てあるいはその考え方が地元住民に根付いたならば今後の選挙でその成果が出るはずである。

もし旧態依然とした町執行部や議員が選任されたら、裁判はただ町に財政圧迫をもたらしただけと住民が思っていることになる。裁判をせず町長疑惑を不問にした方がよかったのではないかということである。多分現実の町政というのは裁判案件以外も含め総体的に損得勘定で見られているということになる。住民は自分たちの生活基盤に影響が出るおそれがあることは避け目を瞑る可能性はあるのである。

今回を機にそういう意識を払拭する活動が広がり続いていくのか。今後の何回かの選挙でその結果が出てくる。成果が出なければ今回のことは通り過ぎた一過性の風だったと地元住民が評価したというむなしい結果に終わる。住民意識の変革とその結果としての町政体質の変革の活動には労力がかかるが、今回裁判原告側の有志は今後志を同じくする仲間や支援者を増やす活動や選挙に勝つ活動へと向かうことにならざるを得ないと思われる。そしてそれには具体的かつ現実的な泥臭い活動を続ける覚悟が必要になって来ると思われる。

No.276 屋久島(148): ミステリーが好きのこと  (H20.07.21)
No.281 屋久島(149):以前から見えていること  (H20.08.19)
No.292 屋久島(153):見えていないこと  (H20.12.29)
No.328 屋久島(168): 丈夫でないこと  (H21.12.29)
No.342 屋久島(174): 時効のこと  [H22(2010).05.31]


補足: 見えないこと  (H21.11.09)

本文に取り上げたコメントのついたブログを発信しているある議員についてのことである。先の選挙で当選したのだが、町長疑惑などの批判や裁判状況のフォローをしているが誰かあるいは他の動きがないとさっぱり記事が出ない印象がある。議員になったのだから、自分の活動報告とか、取り組んでいることについての情報とか意見とか毎日なにかしらしたり考えたりしていると思うのだが、一向にそういうことを発信しないのである。本当は町政改革を考えて活動している人ではないのかもしれない。


 
 Home   back