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8月7日に見たあるブログに子どもが家族を連れて帰省してくるのだが、高齢でしんどいのでメールで食事などの面倒は見れない宣言したというような記事があった。私がそれを見て自分なりの言葉でその心を言えば、まだ子どもは親に気力や体力や財力があると思っているから親が世話してくれることを当たり前だと思っている。だから自分はこども達に何かしてやる力はもうないのだと分かってもらうために宣言したということになる。
子どもはいつまでも親は自分の思い通りに動いてくれると思いがちである。しかし親は歓迎する気持ちはあっても自分の身を休めるときと場所もなく接待して疲れ果てるのはご免という年になっていることを理解して欲しいわけである。わが家でも子どもが来たら帰った後くたびれ果てる経験は何度もした。その上に子は自分の勝手で生きているのに自分の思うように親が振舞わないと気に食わない。何かとやることに指図をしたり生き方を説いたりと支配するようなことをされるとなおさら草臥れるわけである。
私は移住してから上京したことは数えるほどしかない。子どもが家を持ったことは知っていたが、上京したとき一度も家に寄らないかと言われたことはない。交通費は当然だが宿泊費も面倒見てもらったことはない。子どもの都合で呼び出されたときもそうである。最近は年末挨拶状を出しても返事も年賀状も来ない。私は嫌われているからそれでも一向に構わないのだが、それなら都合の良いときだけ親を自分の思い通りに動かそうと思わず放っておいて欲しいわけである。
妻はいままで自分都合が主だがかなりの頻度で上京している。20年以上前のあるころ宿は自分で取ることを求められるようになって、以来長年にわたって自分で宿泊場所を探し予約している。それでも子らがわが家に来る時には当然の如くわが家で泊まるわけである。妻は休む暇もなく私も狭いわが家で気楽に過ごす居場所もなく、子らが帰ると二人で接待に疲れ草臥れていたわけである。
それで近年子らが来たいと言ったとき、ホテルは自分で取ってわが家にはちょっと訪問するくらいにしてくれと宣言したわけである。子らが拒絶感満載と非難めいて言って来たので私は母親はいつもそうやっているではないかと言ってやった。自分たちのことは棚に上げて自分の都合だけを主張していることに気が付いてくれればよいと思ってのことである。そしてその対応に親を憎むのではなく、自分はやりたいようにやるが親は自分たちの思い通りに動くのが当たり前というような手前勝手な姿勢に気付いてくれたらよいなと思ってのことである。その後の経過を見ていたところではその思いは多分理解されていると思われる。
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