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兵庫県知事のパワハラと不正の告発事件が話題となっているが、私のいままでの会社生活での経験では、組織内部での喧嘩はほとんどの場合上位のものが勝つのが相場である。私の経験ではいびりや裏切りは表立ってはやられない。いじめあるいはいびりは周囲のひとには褒めたりしながら本人にしか分からないようにするのが上手のやり方である。そう言うと本人しか分からないのになぜそれが分かったのかと言われるかもしれないが、何となくやっている人間の態度に現れるものである。ただ表立ってそうだと言える証拠を残さないやり方をするわけである。そしてそのうち何らかの出来事があったりしてそうだったのかと分かることがあるわけである。
私の会社時代上層部に嫌われて本人にしか分からないように嫌味を言われあるいは軽視の態度を取られて辞めて行ったひとを少なくとも二人知っている。なぜ私がそう思ったかと言うと、それらのひとに対する上層部の一人の態度が何が切っ掛けか分からないのだがそれ以前と変わったからである。そういう雰囲気は取り巻きも察知するから彼らのその相手に対する態度も変化してくる。何かおかしいなと思っていたらしばらくしてその相手が退職の挨拶に来た。そして上層部のひとがそのあと退職を惜しむようなことを言うのに不信感を持ったことがあった。
裏切りについては、上層部やその取り巻きの様子を察知してか、辞めたひとの部下などがいままでは報告し指示を仰いでいたのに急に上司の文句を言ったりけなしたりして自分をアッピールするような態度をとるような変化が見られて、何かおかしいなと思って見ていたことがある。そして上層部やその取り巻きのその部下への接し方が好意的になったなと思ったあとその上司が退職の挨拶に来たわけである。私の見るところその部下は上層部やその取り巻きに迎合して裏切って就く相手を変えていたわけである。
いじめやいびりは褒められたことではない。裏切りについては権力を持つものに迎合し自分の身を守ろうとせざるを得ないところもあって致し方ない面もある。傍から見ていると裏切り方にもひとの本性が現れる。人間性を疑わせる汚い裏切り例えば憎しみを隠しながら機会が来たから裏切ったというようなことでないなら私はそれも処世と割り切るしかないという気がしている。
そのときはそういう意識はなかったがいま思えば、私も裏切ったことになるだろうことをした覚えはある。一回はいまもそれをしたことを恥じている。また、はなしのなかでそのとき裏切るぞと言われているように思ったことも何回かある。ひとの態度はそのひとの考えあるいはそのとき置かれている状況によって変化するので、している人間は分からないと思っていてもその変化に気づかれてしまうことはある。そして気づいていながら何も出来ない人間にはその状況が悩ましいわけである。
補足1: 兵庫県知事不信任案可決_公益通報対応以外の真偽は
2024.09.20
例えばてきぱき仕事を進める能力のある知事とそれについていけない職員がいて、後者が知事潰しを画策しているのを肌身で感じていたので、その工作行動だと直観的に疑い公益通報対応を誤ったということではないのか気になっている。知事の厳しい仕事の仕方より楽ないままでがよいというのが告発の発端だったりすることはないのか気になっている。
補足2: 兵庫県知事選挙_失職した前知事が当選
2024.11.17
県民は県職員の従来踏襲で知事についていけない姿勢に問題の本質があると思ったのかも知れない。
(追・2024.11.21 斎藤兵庫県知事に問題があり知事として適任かどうかの疑問は決着していない。県民それも多くの若者がSNSで煽られ斎藤氏を支持したと言われているが、その状況判断の正否は定かではないとしても若者に現状を知り改善して行こうというエネルギーが残っていることが分かったことは、今回の選挙の救いであると思われる。)
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屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
No.53 誠実ということ [2001(H13).05.28]
No.226 いじめのこと [2006(H18).10.04]
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No.182 時間が経ってその選択の良否が分かるのかも (2013.08.26)
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