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  偏見ご免のたわごと編:  No.317
いじめやいびりそして裏切りの兆候_言動の調子の変化  2024.07.22
  兵庫県知事のパワハラと不正の告発事件が話題となっているが、私のいままでの会社生活での経験では、組織内部での喧嘩はほとんどの場合上位のものが勝つのが相場である。私の経験ではいびりや裏切りは表立ってはやられない。いじめあるいはいびりは周囲のひとには褒めたりしながら本人にしか分からないようにするのが上手のやり方である。そう言うと本人しか分からないのになぜそれが分かったのかと言われるかもしれないが、何となくやっている人間の態度に現れるものである。ただ表立ってそうだと言える証拠を残さないやり方をするわけである。そしてそのうち何らかの出来事があったりしてそうだったのかと分かることがあるわけである。

私の会社時代上層部に嫌われて本人にしか分からないように嫌味を言われあるいは軽視の態度を取られて辞めて行ったひとを少なくとも二人知っている。なぜ私がそう思ったかと言うと、それらのひとに対する上層部の一人の態度が何が切っ掛けか分からないのだがそれ以前と変わったからである。そういう雰囲気は取り巻きも察知するから彼らのその相手に対する態度も変化してくる。何かおかしいなと思っていたらしばらくしてその相手が退職の挨拶に来た。そして上層部のひとがそのあと退職を惜しむようなことを言うのに不信感を持ったことがあった。

裏切りについては、上層部やその取り巻きの様子を察知してか、辞めたひとの部下などがいままでは報告し指示を仰いでいたのに急に上司の文句を言ったりけなしたりして自分をアッピールするような態度をとるような変化が見られて、何かおかしいなと思って見ていたことがある。そして上層部やその取り巻きのその部下への接し方が好意的になったなと思ったあとその上司が退職の挨拶に来たわけである。私の見るところその部下は上層部やその取り巻きに迎合して裏切って就く相手を変えていたわけである。

いじめやいびりは褒められたことではない。裏切りについては権力を持つものに迎合し自分の身を守ろうとせざるを得ないところもあって致し方ない面もある。傍から見ていると裏切り方にもひとの本性が現れる。人間性を疑わせる汚い裏切り例えば憎しみを隠しながら機会が来たから裏切ったというようなことでないなら私はそれも処世と割り切るしかないという気がしている。

そのときはそういう意識はなかったがいま思えば、私も裏切ったことになるだろうことをした覚えはある。一回はいまもそれをしたことを恥じている。また、はなしのなかでそのとき裏切るぞと言われているように思ったことも何回かある。ひとの態度はそのひとの考えあるいはそのとき置かれている状況によって変化するので、している人間は分からないと思っていてもその変化に気づかれてしまうことはある。そして気づいていながら何も出来ない人間にはその状況が悩ましいわけである。


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