屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.53  誠実ということ (H13.05.28)

世の中で一般に誠実であるというとやさしく親切というイメージかと思う。女性はこういういわゆる誠実さに弱い。どこかのガレージに奥さん連中が集められちょっと親切に扱われプレゼントをもらい家まで荷物を運んでもらう、催眠術商法にひっかかり多額の購入契約をする。あとで気がついて大騒ぎする。とても誠実で人をだますようには見えなかったと言う。昨年TVで見た例である。

老人もそうである。ものを知らぬそれこそいわゆる誠実に生きてきた老人がやさしげに接して信用させる訪問販売にひっかかり高額商品の契約をさせられる。あとになって多額の支払いに困って大騒ぎする。この時もまたとても誠実で人をだますようには見えなかったと言う。これも昨年TVで見た例である。

またかわいい女の子がよく記者会見で婚約発表するときに誠実な人柄に惹かれましたと言う。これも自分をやさしく取り扱ってくれただけのことをそう言っている場合が多いように思える。誠実さに惹かれて結婚すると言った女の子が後年泣いて離婚会見やトラブル釈明会見をする例も多い。

誠実であるとは本当はもっと厳しいものである。むかしそれを論ずる記事を読んだことがある。そこでの例がとても分かり易かった。会社で上司が裏でちょっと「今、君が昇進するという話が出ている」ともらす。部下にとってはうれしい情報である。普通こういうことを言ってくれる上司がやさしく親切な部下思いの上司と思われている。しかし人事発表でそうならないこともある。そいうときの部下は惨めである。多分奥さんや親友に昇進話をしてしまっている。上司や会社に恨みを残すことになる。誰にとっても良いことはない。

思わせぶりや親切ごかしは誠実とは言わない。はっきり決まったこと、本当のことをいう。決まってないことは言わない。約束を守る。それが誠実な人のとる態度である。だから一見とっつきにくかったり、冷たいように見えることがある。そして相手の本質ややさしさを見ることができない人は不誠実な人に悩まされることになる。

以上昨年誠実そうな男にだまされる人の話しを見て思ったことである。

 

         補足: 批判するにも言い方が大事らしい [2012(H24).03.25]

本当のことを言うことに関連してだが、批判的な意見を言うときいきなりそのことを言うのはあまり生産的でないようである。「人を助けるすんごい仕組み」という本に出ていたことである。いきなりの批判はそのつもりがなくても相手にとっては攻撃となり責めたと受け止められる。どのように受け取るかは他者であり、いきなり批判するのはいきなり斬りかかるようなものと思った方がよい。まずは相手を認めてから提案するのがよい。どんな正しいことを言っても言い方やその順番を間違ったら受け入れてもらえない。相手が納得してくれなければ正しいことも不正解になってしまう。


 
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