My logbook : 屋久島暮らし残照録  
  Home > 目次 > 記事  
  偏見ご免のたわごと編:  No.276ap
政治資金規正法_きれいごとは止めたら  2024.06.02
  民主主義のもとで、政治家になるということは自分の金で自分の政見を国民に訴えて投票してもらえということなのか。あるいは身近な賛同者を募り金を出してもらいその金で国民に政見を訴えて投票してもらうということなのか。どちらかというと後者が現実的である。

となれば、賛同者が金を出すということを認めなければならないわけだが、金を出すということはある意味で自分の言うことを聞けということでもあるわけである。つまりは賛同者や支援者やボランティアなど金や労力を提供する人間は、ある意味で見返りを期待しているわけである。つまりは、会費や献金や労力支援などはワイロ性があるわけである。

政治献金や政治資金パーティーは本質的にワイロであるが、その金を出す気になる人がいなければ成立しない。つまり政治家や政治家になりたいひとの政見に賛同できなければ金は出さないという意味で、政治家の実力の証でもあるわけである。賛同者が少なければ集まる金は少ないわけである。自分たちに集まる金が少ないのはやること言うことに人気がないからなわけである。

自分たちに金が集まらない側は人気があるものに金が集まるのが気に食わないとやっかんで金の出す量を制限させたい言っているのでなければ、金の多寡を問題にせず透明性を確保することに注力したらどうかと私は思っている。私はワイロ性があることを前提に考えれば、政治資金の定義を明確化し収支の透明性を担保するしかないと考えている。

政治資金としては企業や労働団体、宗教団体などのほか各種団体に付随する営利事業体からの金は収入に含めるのがよいと思っている。ワイロ性という意味では、外国人や外資の金が献金やパーティー券などすべての資金元となることを禁止すべきである。日本人以外が日本の政治家にワイロみたいな金を贈るようなことは禁止しないといけないと思っている。


(関連記事)
屋久島暮らし残照録・偏見ご免のたわごと編:
  No.276  自民党派閥・政治資金問題_額や不記載より裏金の使途こそ問題  (2024.01.01)
. 
 
  back