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  偏見ご免のたわごと編:  No.249
原発汚染水の処理水_放射性物質の影響は  2023.09.04
  福島原発の汚染水を処理したいわゆる処理水を海洋放出するについてはいまの科学的知見で安全であるということについて、私は疑義を挟むに足る知識を有していない。ただ広島や長崎の原爆のあと被爆者は長く放射能の影響による傷病に苦しんで来たのだが、広島・長崎が復興するにあたりそこで働きあるいは住むことになったひと達が放射能あるいは放射性物質にさらされるようになってそれによってどういう被害が出ているのか知りたいと思ってはいる。

いま設定されている放射能の許容基準に比べ当時いつごろまでどの程度の放射能あるいは放射性物質にさらされ人体にどのような影響がどの程度出たのか気になってはいる。ネットでそういう情報をちょっと見で探してみたのだが見当たらなかったが、多分いまの許容基準はそういう過去の知見まで含んで設定されているのだと考えれば、福島の原発の処理水は安全という判断でよいのだろうと思われる。

自然にはむかしから放射能は存在している。だからひともある限度まではそれに耐え得るように出来ていて、いままで存続して来たわけである。広島や長崎で自然を超える量がどのくらい続いたのか知らないが、原爆後そこで働き住んで来たひと達により復興を遂げいまに至るまでに、そのひと達の中に被爆者になったひとがどれくらいいたのだろうか。特別な環境下にいたひと以外の大多数は人間の耐性限界内の被爆だったのではないか。そしていまの広島・長崎がある。そんな気がするわけである。

戦争が起これば自然が破壊される。あるいは戦争に備えるために基地などを作ると自然を破壊するとよく聞く。だが、沖縄を見てみれば先の大戦で米軍の攻撃により焼け野原になり上陸作戦で海岸線もダメージを受けたはずである。だが現在沖縄は米軍基地としてその存在感がある一方でリゾート地としてその自然を売り物にして繁栄している。破壊はあっても自然は復活しているわけである。

そういうことを思えば、長い時間の中では自然の耐性限界内であれば復活・復興すると考えてよいのではないかという気がするわけである。私のいまの理解は、人間もそれなりに放射能あるいは放射性物質に対する耐性があってその限界を大幅に下回っているのがいまの基準だから安全と言っているのだろうということである。

そうであるのなら、トリチウムがどうのこうのだけ言っている感のある現状の処理水に関する広報は実状のすべて公表しているわけではないような気がする。そこに不安を残す目、反対論が出て来る余地があるわけである。嫌がらせで反対している国などの言い分がおかしいのなら、それが嫌がらせだとはっきり分かるように出し惜しみせずもっと詳しくもっと易しく知見を説明し海洋放出が妥当であると説得してもらいたいと思う。そういうことを見れば国内の反対論を言うひと達や内外の反対に不安を持つひと達も安心出来るようになるのではないかという気がするわけである。

中国は処理水海洋放出に反対している。核兵器を持っているのならば核爆発実験はして来たはずである。そして核戦争も厭わないのならば、反対するに足る放射能あるいは放射性物質についての知見を持っていて、反対の科学的理由も定量的に把握しているのかも知れない。もしそうなら私としては彼らの基準とその理由を定めるに至った経緯を公表しながら世界を説得したらどうかと思うのだが、感覚的あるいは感情的な表現では何となく説得性に欠ける感じがしているわけである。まあ中国は内政問題から国民の目を外にそらさせるための嫌がらせだろう。韓国の野党に至っては感情的表現が先に立ってただ攻撃したいからしているような印象しかない。


補足: 原発汚染水の処理水_(参考図表とメモ)


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