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たわごと編: No.85
  2012.01.09 原発についての見方が変わった  
 
  私は昨年来の福島原発事故関連情報を知るようになる前のこれまでは、原発反対を唱える人たちに批判的な意見を持っていた。今までは関係する官庁や学者・技術者などは信頼でき、故障や事故に対処できる準備は怠りないと思っていた。そして核物質・核燃料はその性質上危険なものであるから、国民は原発の恩恵を受ける代わりに安全対策のコストとして原発や処理施設の立地などに相応の負担をせざるを得ない。それは覚悟すべきと思っていた。だから自分のところだけは負担は嫌だと言っているように見える反対運動には批判的であった。

しかし福島原発の事故の実情、政府・官庁、関係する学者・技術者などの対応や放射性物質拡散の影響範囲の広さを知ってしまった今、原発は性質上黙っていても事故は収束しないものであり、原発に適用されてきた技術が自ら創り上げた安全神話の上に成り立っており、現実の原発が何があっても安全サイドに機能するように建設されておらず、安全管理体制や危機管理体制も確立されていなかったという証拠を見た思いである。私は国民として原発の恩恵を受ける代わりに原発や処理施設の立地などに相応の負担をせざるを得ない。それは覚悟すべきという考えに立っていたのだが、そういう想定を超えて、原発は国民に恩恵をもたらすと言いながらその維持のために国民に生活を脅かす程の負担を強いるものかも知れないと思うようになった。

原発から20km圏内 原発から50km圏内
原発から100km圏内 原発から200km圏内

今回、原発事故がサイト内で収束しない可能性があることが分かった。今後もし事故が発生したとして最悪その被害がどのくらい拡散するのかということが問題になる。将来完璧に何ごとがあってもその性質上問題なく安全に収束するような原発が出現しない限り最悪を考えた選択をする必要があるのではないかという気がしてきたのである。ネットで原発立地と原発からの距離をマップにしたものを見て、避難とか疎開で対処できる範囲を超えて国民が住める場所がなくなったらどうするのかという問題をつきつけられているように思えたのである。

原発事故による放射能で住民はで死んでいない。人はもっと放射能には耐えられるから被曝基準を緩めても良い。人は100ミリシーベルト以下でがんにならない。事故の後始末や除染、食物汚染などにリスクゼロを求めるな。そうでなければ国家経済は成り立たなくなる。そういう意見も出ている。しかし全世界的にそういう汚染環境下で暮らしていって問題ないという共通認識あるいは基準の確立につながっていない。現に外国は輸入規制を掛けたりした。そして放射性物質飛散被害を避けるための避難区域など必要ないというはなしには全く及んでいないようである。冗談ともなくTVで何処かのギャルが放射能が大丈夫ならお台場に原発作ればと言っていた。それでもいいよと言えるのなら私も安心できる。

だが、いまそうしようと説得出来るだけの技術も体制もないことは分かったのである。廃炉にする技術すら確立していないかも知れないのである。でもこのまま性質上収束できない危険性を秘めた原発を推進するよりは脱原発を目指し技術開発する方が良いと思われる。そして脱原発をするにしてもその技術開発や核物質を保管処理する負担や生活の不便あるいは代替エネルギーの確保のための国民の負担は必至だが、何でも嫌がる国民でなければその覚悟は出来るのではないかと思われる。

補足1: 被曝区域居住制限とその判断基準
2012.08.26
国は年間50mSv超が居住を認めない帰還困難区域、20m~50mSvが帰宅や通過を認める居住制限区域、20mSv以下は除染して早期帰宅させる避難指示解除準備区域に再編する方針で被災自治体と被災者を帰宅させるための協議をしようとしているが、国は一方では、原則として1mSvまで除染してから帰宅させるという方針を変えないため避難指示を解除しても帰宅できない。

そうであれば全域帰還困難区域にして全域同一保証という要求が出てくるのは当たり前のような感じがする。報道によると福島県双葉町は区域再編の協議を拒否したということである。予想されたことである。町のこういう要求が全自治体にエスカレートすると、国の再編方針は空文化して被災地の大部分が廃墟になり、その保証負担が国民にのしかかるとして町の再考を求める意見もある。

事前に最悪ケースを想定した対処基準を定めていたとしても、廃墟になる区域は事故時の被曝状況によって変わるとなれば、全域のどこかが住む土地を捨てなければならなくなる可能性があるということになる。可能性は全域にあることになる。多分自治体は今まで廃墟になる可能性があるというはなしをされないまま原発立地を推進してきたと思われる。そして現実に事故が発生し廃墟になるのは避けられない区域が出てきてその廃墟になる区域は被曝状況次第というのでは自治体としては受け入れ難いかもしれない。

私が上記の本文を書いた理由は、廃墟になる区域が事前に決まっているわけではないから影響が及びそうな範囲全域がその不安に怯えなくてはならない。そうであれば住民は原発立地は避けようとすることになると思うからである。お台場に原発作って東京が廃墟になる可能性がゼロなら問題はないのである。

補足2: プロセスは似たり寄ったりでは
2012.12.15
今回の選挙では原発政策として廃原発、脱原発、原発フェードアウト、反原発などという考え方を政党ごと目先を変えた言葉で語っている。言葉遊びである。どの考え方であっても、現実に原発は稼働しているわけだから、いずれ廃炉にしなければならない、使用済み燃料の保管処理はしなければならない、そして原発停止したときのエネルギー供給をどうするかという問題は共通である。異なるのは各原発の停止時期をいつにするか、同時か別個かだけである。少数政党がそれぞれ自分たちの違いを印象づけるために言葉遊びをしても実現性はない。原発依存をやめるとなればそのやり方を検討評価することが必要でその結果何らかの実現性の高いあるやり方に収斂するのである。原発がいずれの時にか無くなっている日本にするという一点でまとまったって非力なのに何を遊んでいるのだと思わずにいられない。

補足3: 日中韓が原発規制当局者が極秘会合とか
2014.09.16
9月2~4日に中国と韓国の原発規制当局の幹部が来日し日本の原子力規制委員会と情報交換の非公開会合を持ったという報がある。中韓とも安全性への不安があるので日本のように規制強化したいというはなしもあるが、各国の安全保障をめぐる思惑もあるらしい。また別の報には、全面的な戦争に巻き込まれ全国に散在する原発にミサイルを打ち込まれれば日本は壊滅するというはなしが載っていたが、日本の安全保障政策において原発についてどう考えているのか、はっきりさせて今後の原発政策や集団安全保障関係法制に反映してほしいものである。


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