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岸田内閣の支持率が40%を切ったとテレビ番組で話題にしていた。インフレ、統一教会問題、防衛力増強問題といろいろ課題があるがうまく仕切れていないという風に見られているようである。以下、最近気になっていることへの感想や意見である。
まずインフレについてだが、私が思い出すのは1973年10月の中東の産油国が原油価格を70%引き上げによるいわゆる第一次オイルショックを機にインフレが発生、公定歩合引き上げで押さえようとして日本は不況になったときのことである。そのときはある年一度に給料が30%くらい上がったような記憶がある。
今回も大幅な賃上げがされることになると思われる。物価は上がるが賃金も上がる。国内での企業の取引価格も挙げて、例えば大企業への中小企業からの部品や資材の納入価格も上がり、店の者の値段も上がって、円安の下で全体がいままで通りの収支の状態に落ち着かせるしかない。価格先行かも知れないがその分日本遍く賃上げすることでしか国民の不安は収まらない気がする。
次に、統一教会問題についてだが、自民党議員に一番統一教会の手が及んでいることが問題になっているが、これは統一教会が自民党を利用して日本の政治に影響を及ぼせると値踏みしたからである。野党だって政権にあったころには工作しようと近寄られたことはあったが、国政への影響力が低下したら離れて行ったと見るのが妥当である。近寄られた議員は影響力があると思われていたのだから、それなりに有能なはずで自民党内でも目をかけらる存在であったとしても不思議ではない。
野党は統一教会から見れば利用価値が低いから、あまり取り込む対象にならなかっただけである。まあ、自民党議員は近づいて来られて自分は利用しようとあるいは利用したと思っていたところが逆に利用されてしまったわけだが、それについては大いに反省しひとや状況を見極める目を養わなければならない。それはやってもらわなければならないが、野党もただ政治力が弱いから声があまりかからなかっただけであることを十分自覚し、人物攻撃や政権批判に偏らず、邪悪な団体への本質的な対応策の論議を進めるべきである。野党の正義も法の下にあるのだから感情論でない発想で論議をしないとまとまらない。
(追: 2022.11.11 私は立憲民主党がマインドコントロールを定義することにこだわっているという印象があって野党に嫌な感じを持っていたのだが、維新の音喜多俊氏のブログでの「維新・立憲案」の解説を見て野党もまんざらではなさそうという気がして来た。)
次に、防衛力増強のはなしである。私から見れば現実論より理想論を言うひとに多いのだが、まずは外交をしっかりやることが大切などと言って防衛力論議を避ける傾向がある。私に言わせればまず外交が大事というのは当たり前のことで日本もそれなりに外交努力はしているわけである。もっと外交体制を整備する必要があれば具体的にそれを提言すればよいわけである。ところで外交が大事であるのだが、それがいつもうまく行くとは限らない。防衛力増強というのはその外交がうまく行かなかった最悪の状況に対処する能力に関するものである。防衛力増強のはなしは外交が成功しなかった場合にどうするかを論議する場なのに、外交でやれと当たり前のことばかり言っている連中がいるが、困りものである。
中国やロシアや北朝鮮など、軍備を増強させるのに熱心である。その軍事力をバックに外交をやっている。防衛力も外交の一要素それも重要な要素なのである。それを考慮せず外交でやれとばかり言う連中には国は任せられないわけである。防衛力は最悪事態に備えるだけでなく外交を支える力であることも理解して、外交・防衛を連関させて考えどうあるべきか論議して欲しいと思うわけである。日本だけでは及ばない、それならどうする。同盟とか、防衛協力とかいろいろあるわけである。そこで日本の防衛力増強ははどうするかということである。
補足1: 政府を責める野党_野党も何もしなかったのでは
2022.11.30
国会審議で、例えば旧統一教会問題について野党が政府のやってきたことの不備を責めているのを見ていると、安倍首相が殺された後から急に政府や与党を責めている印象が強い。安倍首相が殺される以前から野党が旧統一教会を問題視して、いま責めている事案などについてなんらかの行動をとっていたという記憶が私にはない。野党だってほとんど何もしてこなかった、言わば政府・与党と野党は同罪である。野党は自分たちに正義はあると言わんばかりに政府・与党を責めるのではなく、問題の本質に集中した国会論議にして欲しいというのが私の感想である。(追: 2022.12.16 このところ岸田首相の防衛予算増額先行の姿勢には危惧を持っている。防衛力をどうすべきかのはなしもなしに金のはなしになっている感があり、説明不足は否めない。)
補足2: 核非保有国の防衛力増強を考える_抑止用攻撃能力
2022.12.17
今日テレビで原発稼働や新型原発開発などの話題を議論している番組を見ていて感じたことである。私の印象に残ったのは、原発が事故は最悪の事態を考えるべきで福島は運がよかったからあれで済んだだけだ。危険な原発は廃止してあとは核廃棄物の処分について時間をかけてどうするか考えるのがよいという意見である。その意見を主張していたひとによれば技術が進歩して再生エネルギーで所用電力が賄えるようになるからということだった。
私はそれを聞いていて防衛力増強のはなしが頭に浮かんだ。日本の核戦力保持あるいは核シェアリングを考えるより核保有国の原発への攻撃力をメインにしたミサイルを十分な数保有することとし、それを可能にする周辺技術開発や装備の開発をして、日本を攻撃したら原発を攻撃すると公言しておけばそれで抑止力は十分ではないかということである。たわ言かも知れないが、敵基地攻撃・策源地攻撃では抑止力として十分でない気がするから、核保有と同じような効力のある戦略が必要な気がするのである。日本に原発がなくなったらこういう手もあるかなということである。
(関連記事)
屋久島暮らし残照録・偏見ご免のたわごと編:
No.141 ウクライナ事態から考える_日本の懸念 (2022.05.10)
No.164 いわゆる旧統一教会問題_政党値踏みで主に自民が工作対象 (2022.09.12)
No.184 法律などの立案_例えばFMEA的事前検討は (2022.12.01)
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