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  偏見ご免のたわごと編:  No.138
成年年齢引き下げ_大人になる 2022.04.25
  この4月成人になったと認める成年年齢が20歳から18歳に引き下げられた。ちょっと調べたところでは、成人とは心身ともに十分に成長したとして社会的に一人前の大人として認知されたひとのことである。大人として社会に参加する自由があるがそれにともなう責任を負わなければならない。成人になるということはそれを自覚することが求めらるようになるということである。

また、民法が定めている成年年齢は、一人で契約をすることができる年齢あるいは父母の親権に服さなくなる年齢という意味であるが、要は成年したということは親権に服さなくてよくなり自分の行動を自分の意志判断で決定出来る大人になったということであるともあった。ということは成人になるまでは子どもは親権に服さなければならないあるいは親にしつけられ育てられるものだということらしい。

ここで私は気になっていることがある。親子・家庭の一員として育てるか、子どもを親とは違う個人として育てるかという問題である。子育て意識についてのネット記事などからの受け売りだが、一般的に日本では親子・家庭という関係性に重きを置いて育てるのだが、子どもだからとあまやかす傾向が強いと言われているようである。そして子供は自分中心で甘えたりわがままで社会性に欠ける傾向に育つということである。一方、欧米では子どもに対しても人格を持つ一個人として常に対等に接し、他人に迷惑をかけない社会性を持った自立した個人となるように育てるということである。

そして、そういう子育て意識の違いから、日本では子どもを自分のものだという意識を持つ親が多く、子どもが働くようになるまであるいはいわゆる大人になっても子どものすることしたことやその結果に社会的責任を負おうとする。そして社会も親にそれを求める。その結果、子どももいつまでも親に保護を期待する気持ちが消えず、わがまま勝手が自立と勘違いしたりするものもいて、いつまでも精神的に自立しない傾向が強いと指摘されている。

そこで私は思うのだが、そういう環境の中で成年年齢を引き下げて、君は自分の行動を自分の意志判断で決定出来る大人になったと言っても、言われた子どもは果たして自立した大人の個人になったと自覚するのか。それよりは戸惑っているのではないかということである。

日本の法制は、ひとの位置づけが家族を前提としていて個人単位ではないというのが私の印象である。世の中の仕組みが個人単位前提でないから、成年年齢の取り決めが子どもの自立を促しているような気はしない。自分を棚に上げて言わせてもらえば、子どもは一丁前に自分の立場を考え言うのだが、一人前の大人としての社会性と責任感に基づいて言っているかどうかは疑問である。

私は自分のそれまでの振る舞いに考えるところがあって、かつて自分の子どもに個人として接するように努めたが私の子育ての思いは理解されず、親戚やその他にちやほやされまくられると子どもはそちらの方が居心地がよかったようである。そしてそれが当然というようにして育った。私は血がつながっている子どもが他のファミリーの一員のように感じることが多いし、子どもはいまもそのつながりに依存あるいは支配されている感じがある。そして自分で選びながらその束縛感が嫌だなどと愚痴を言ったりしている。そんなのを見ているから社会制度あるいは社会全般の家族観が変わらないと、なかなか子どもの自立というのは時間が掛かる難しいことなのではと思うのである。


補足: 成年年齢は25歳に引き上げ_脳が成長してからという考え
2022.05.05
日本も国際社会の流れに合わせて、大人としての自覚をもたせるように成年年齢を18歳に引き下げたのだが、25歳に引き上げる方が理にかなっているという見方もあるようである。
最近見たあるブログに、成年年齢は25歳に引き上げたらという記事があった。その記事によれば、近年の脳科学で大脳辺縁系など情動を司る部位が先に発達し、前頭葉など制御系は遅れて完成することが突き止められているらしい。脳は、まずは冒険的になってパートナーを獲得し、子どもを産み育てる頃に落ち着く。その制御系の成長が止まるのは25~35歳だということも分かって来たようである。だから脳が落ち着く25歳に引き上げる方が理にかなっているというはなしである。


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