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  たわごと編: No.143  
  2013.01.07 ひとを嫌うことが悩ましくなくなるか  
 
  私はひとを嫌うことかなりのものがある。それに輪をかけてひとから嫌われている、と感じている。そして嫌われても構わないとそういう自分を押し通している面がある。だが内心ちょっぴりそういう自分でよいのかという気もある。そしてきれいごとを言ってごまかして悩ましい思いをしたりするわけである。最近あるブログに積極的に嫌われようというような記事があった。世の中不本意な人間関係を強制されながら嫌われたくないと願っている人は大勢だが、嫌われることを恐れることはないというのである。

嫌われるということは、素の自分と合わない人が自然と自分の周りから立ち去っていくということだから、嫌われることは人間関係の最適化である。嫌われることを恐れるあまり自分を偽るような生き方をするよりは、相手が勝手に嫌ってくれているという状態の方がある意味幸せだということである。そして積極的に嫌われるには、嫌われることを恐れず素直な自分を表現すること、空気を読むのをやめることだという。嫌われることを恐れて自分を曲げる、それをやめたとき、はじめて自分の周りの人間関係は最適化されるのだという。ただ、素直に自分を出すと言っても個人攻撃するのは、意に反してかえって劣悪な人間関係が形成されていくので避けなければならないそうである。

そしてブログ筆者は、「ひとを嫌うということ (中島 義道著・角川文庫2003-08刊)」という本を紹介して、ひとから嫌われる、ひとを嫌うということについて、目から鱗をぼろぼろと落としてくれるすばらしい本だ、自分もその境地にまでたどり着きたいと言っていた。私はひとを嫌うということがどういうことなのかもっと深く知りたくなって即刻その本を注文してしまった。

読んだその本の著者はある切っ掛けで妻子から激しく嫌われるようになってひとを嫌うことについて考える中で、嫌うということは自然なことだが理不尽なことである、そしてその理不尽さこそが人生でありごまかしてはならないと確信するに至ったとまえがきに書いている。本文にはいろいろ例を挙げ分析し論じているが、そこからの結論は、ひとを正確に嫌い、自分がひとに嫌われることを正確に受け止めること、そしてその現実にしっかり向き合えば人生のたとえようもない味わいが分かってくるということである。

私も親兄弟・妻子・縁戚・友知人・隣人から仕事その他の関係者などなどと、程度の差はあれ互いに幾ばくかの嫌いを持ち合っている。それは自然なこととして嫌うことは悩ましいことだと思わないで受け入れればよいということらしい。早速2冊追加注文して多分私を嫌っている子達にも送ってやることにした。


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