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  偏見ご免のたわごと編:  No.135
ここのところCDを聴かない_時間がもったいない感じがして 2022.04.11
  ここのところ時間の何かの目的もなくただ音楽を聴きたいからという気持ちになってCDを聴くことがなくなって来た。DVDでまたあの映画を見ようかという気持ちになることもなくなってきた。1時間近くあるいはそれ以上も聴いたことがあるあるいは見たことがあるものに時間を費やす気が起きないのである。

一説に年を取ると何をするにも緩慢になったりやることを忘れては思い出すに時間が掛かってたりして、一つことをするにも時間が掛かるようになる。ひとは年を取るとだから忙しい感じになる。かつてと同じことをするにも時間が掛かって余裕時間が減って来るので忙しい感じになるからだということらしい。

本もむかし読んだヨーロッパの古典的な長編小説のように情景描写とか背景の説明みたいなのが長々と続く感じのものは敬遠するようになった。あるいは本筋だけを追って拾い読みすることが多くなった。あとはそこから自分なりに言わんとするところを感じ取れるかどうかである。感じ取ったことがその本の言わんとしていることと合っているかどうかは知らないが、それで心動かされて感じ入ったりすることもある。

ミステリーなどは筋書きの展開が分かればそれで十分で表現のうまさがどうとかそういう細部には関心がない。筋すなわち言いたいことが分かるように拾い読みしながらの速読で、自分が面白い展開だと思えないものあるいは行間から心引きつける何かを感じないものは途中で読むのを止める。それで自分が読んでよかったと思えそうもないものに時間をとられないようにしている。他の分野の本でも自分が知りたいあるいは関心があるところは集中して読むが、分かり切ったことが書いてあるところは読み飛ばす。

ネット記事も、拾い読みして知りたいあるいは関心があるところは集中して読むが、あとは自分に関心ある語句などが目に留まらないと読み飛ばす。多分情報があふれているから誰でもそういうような取捨選択をしていると思われる。年を取るとそういうことをしていても時間がないような感覚になる。生活するに必要なことは省けない。飯を食うに始まって家のことその他動いてやらなければならないことは省けない。そういうことに時間が掛かるようになって来て忙し感が出てくるからのようである。

だからなるべく時間を浪費するようなことしないようにしたいと思っているわけである。そいうことに矛盾するのだが、私はホームページ記事を自分の考えを整理し内容が終始一貫した文章にするトレーニングでもあると思って書いていて、ときに長々とした文章を書いては時間を費やしている。近年は起承転結もあいまいになって来ているとは言え自分の書くもので自分の成長を図っているつもりだから、それはそれで時間をかけても自分の時間の無駄にはなっていないと思っているのだが、それも時間がない忙し感の一因かもしれない。


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