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  偏見ご免のたわごと編:  No.123
国会で論議を期待すること_二つの抑止力 2022.02.07
  1月になって国会が始まっている。10月の衆議院議員選挙、あるいはその前の自民党総裁選のときにも話題になったなかで、私が気になっていること二点についてのことである。高齢の私には、もう将来どうなろうが自分に問題が降りかかって来るはなしではないのだが、子や孫たちには影響して来る。そう思えば、これから日本がどんな国に成って行くのかと心配になるので、よく論議してほしいなと思っていることである。

一つはデジタル化についての論議についてだが、私は他国に日本が乗っ取られないよう抑止することを前提としてなされなければならないことは国益や国民の利益に鑑みれば当然のことであると思っているから、他国が日本を陰に従属させ支配しようとする意図や動きに対する抑止力を備えなければならない、そういう論議を欠いては困ると思っている。現実を知り国をどう運営していくのか、経済そして外交それらを日本の国益・国民の利益になるようにするにはどうするのかという政治の在り方をよく考えて政治家には論議してもらいたいと思うわけである。

もう一つは防衛力についての論議あるいは敵基地攻撃能力の論議についてである。敵基地攻撃能力という言葉を聞いて私が思うのは、どう国を守るのかという課題をその言葉で代表して言っているのだと考えるべきということである。例えば相手からミサイル攻撃を受ける可能性があるとして、そういう攻撃をさせないためにどうするかということが、いまの時代敵基地攻撃能力という言葉を使う場合の意味合いである。敵基地攻撃能力という言葉を相手に戦争を仕掛けることを容認するものであるかのように受け取って拒絶反応を起こすのではなく、相手からわが国が攻撃を受ける事態にどう対処するか、その在り方について言っている言葉だと思って論議してもらいたいと思うわけである。

これらについては、
No.063 日本は大丈夫か_意識してあるいは無意識でどこかの国の手下 2021.03.15
の付録として
昨年の12月10日に
No.063ap1 日本の抑止力_その1・デジタル化の論議について 2021.12.10
および
No.063ap2 日本の抑止力_その2・敵基地攻撃能力の論議について 2021.12.10
として記事にしてある。

国会論議を見ているとなんか心配になってもう一度私の期待する論議について挙げてみる気になった。

補足1: ウクライナでプーチン核威嚇_日本の周辺情勢への対応は
2022.03.16
現在の日本を取り巻く周辺情勢を現実的に捉えその中で想定できる最悪事態を如何に回避するのか、日本の安全がもっとも高まる選択はどういうものかについて議論してもらわないと困る。信用できない国家に対応できるようにと核武装すれば地域の核軍拡競争を誘発して取り返しのつかなくなる危険がある。核があるからこういうことになると一気に核廃絶に進むべしと言っても、核廃絶を拒む国家が言うことを聞かなければ軍事対決に発展し世界大戦に至りかえって核戦争を誘発する危険がある。核抑止力も核軍縮もただそれを言うのは易いが、それだけでは解決にならない。現実的にどうするのか知恵を絞ってほしいものである。

補足2: 橋下徹氏の意見に違和感_市民に犠牲が出たらすぐ妥協とか
2022.03.20
今朝のあるテレビ番組でウクライナの戦争についてのはなしから、橋下徹氏は市民に犠牲が出たら政治家は政治的判断をして妥協を探れと言うようなことを言っていた。市民の犠牲が出る戦いはすべきでないという概念先行の主張のようである。彼の言うように戦争を仕掛けられて軍隊が戦いに応じている間はよいが市民に犠牲が出たら政治家は相手に妥協してそれを回避するべしということにするならば、相手の言い分を飲むということになる。市民に犠牲が出たらすぐ妥協を探るという考えは、相手に自分の言い分のすべてを飲むまで妥結せず全面的降伏を待つことを勧めているに等しい。現実にはどこまでどうするかその政治判断が問われているのに、市民に犠牲が出たらだめだという主張一本やりの橋下徹氏に違和感を持ってしまった。


(関連記事)
屋久島暮らし残照録・日誌編:
  No.063  日本は大丈夫か_意識してあるいは無意識でどこかの国の手  (2021.03.15)
屋久島暮らし残照録・偏見ご免のたわごと編:
  No.063ap1  日本の抑止力_その1・デジタル化の論議について  (2021.12.10)
  No.063ap2 日本の抑止力_その2・敵基地攻撃能力の論議について  (2021.12.10)

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