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コロナ禍のなかリモートワークに限らず田舎暮らしを求める話題を見聞きする機会が多くなった気がするが、この新年3日に見たネットのニュースサイトにある記事が紹介されていて、そういう流れに呼応してか田舎暮らしの現実として理不尽な怒りに直面するリスクは常にあるということで土下座した実例を挙げて紹介している内容だった。理不尽な怒りは、習俗の壁、人柄の違いあるいは本人の勘違いや理解不足によって起こるのかも知れないが、個人ではその不条理を簡単に解消することはできないということである。
私に言わせれば、そんな例は極端に過ぎるが、慣れた環境から異なる土地に移ろうと思うならば、多少なりとも違和感を感じることがあり得ることは覚悟の上でしろということである。大方は支障なく田舎暮らしが出来る。ところで私たちは26年前、当地に移住して来ていわゆる田舎暮らしをしているわけである。移住して来て以来、ひとの噂ばなしや評価じみたはなしはなるべく慎んで来た。それでもひとの主張することを黙って聞いていただけなのに、どこかでそのひとがあいつも自分と同じように言っていたと吹聴されたり、気を許してひょっと漏らした言葉が聞いたひとの受け取り方によって意図しないかたちで他人に伝わってしまったことがある。そういう経験もして私はかなり慎重に行動するように努めて来た。
そうして25年以上暮らしていても、自分では思い当たる節のないのに何か自分が相手に気に障ることを言ったりしたことかなんかで、いつもと違う空気になっているのではないかと気になることがある。あるいは腰痛などで体調がよくないからか、ここのところ朝目覚めると変な夢を見たようでその夢の不快感だけが残って尾を引いている感じもある。この感覚は直接の行動や言葉のない何となく受けている自分の気持ちへの圧力みたいなものである。誰かに何かされたり言われたりしているわけではないが、何か分からない圧が掛っているような感覚になることがあるのである。
私はただ安心して暮らしたいだけなのだが、ここのところコロナ禍でこもり気味の生活をしていて気分もこもり気味なのでそんな感覚になることが多いのかも知れない。それで何となく憂鬱になったりするときがあるのである。あるいは住み移りはもうなしと思い定め残照録と題して記事を書くという覚悟はしたものの、田舎のひとに為れない田舎暮らしをしに来た自分の深層に潜む感覚なのかも知れない。
(参考)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
No.133 陰口・悪口を聞いて予断を持って失敗 (2012.11.12)
屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
No.44 噂というもののこと [2001(H13).03.26]
屋久島暮らし残照録・偏見ご免のたわごと編:
No.204 きつい田舎もあるらしい_私は当地に移住してよかった (2023.02.16)
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