屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
                     Home > 目次_top  >  記事

No.44  噂というもののこと (H13.03.26)

ある人が考えを述べてどうだこうだと言う。それを聞いてまじめに対応するようなものでないと、あー、あー言いながら聞き流してしまう。こちらは否定も肯定もしていないのだが、後である人にあいつもそう言っていると言いふらされ迷惑をこうむったことがある。さらにはある人が自分が言ったことを隠してあいつがそう言っているとこちらに責任転嫁をしながら自分の言いたいことを言いふらすのに利用されたことがある。

また私も自分の考えをみんながそう言っているなどと言って責任回避しながら主張してみんなとはおまえのことだろうと言われて恥じ入ったことがある。無責任に噂話をするのは楽しいことである。だがその限界を心得て人を落し入れるようなことは避け、その場の楽しみ話しに徹した方がよい。

相手と話したこともない、見たこともないことを100%信じるということはその噂をする人の思惑を聞くことである。事実を知らず、証拠もないことを信じて踊らされることになる。しかし火のないところに煙はたたない。噂は話題にかかわるなにか事情があるということも事実である。噂の対象に問題があることもあるし、噂をする人に問題がある場合もある。本当に気になったならばよくよく観察して真実を把握するのがよい。

私は噂を伝え聞いて自分を中傷していると思い言い出した人間を聞き出して殴ったことがある。言い訳を聞いたら自分のことでなかったから恥ずかしい思いをしたが、すねに傷を持っていると噂に敏感に反応してしまう。噂が気になるということはそういう一面も持っている。

自分の意見や思いをきちんと述べてもそれが噂になることもある。発言の時どうしてそう思うか理由も述べているにもかかわらず、一部分や結論だけが一人歩きする、あるいは自分の意見を述べたということが噂の対象になることもある。

私はよくこれこれの噂を聞いたと言ってそれに対するコメントをする。的外れのことがあるかもしれないし、当たっていることもあると思う。いずれにしても噂を聞いて私がどんなふうに感じたかということにおいては一応間違いない。噂のコメントとはそんなものである。


 
 Home   back