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  日誌編:  No.049  
年末の挨拶状・2020_身体は衰えつつあるがまだまだ 2020.12.21
 
年賀状を止めてこれにしてから三回目だと思うが、状況報告を兼ねた年末挨拶状である。戯れ歌は従来から頭のトレーニングとして考え年一回の挨拶に付けることにしていたものを継続して付けている。

戯れ歌(漢字混じり表記)
高齢の 動きあやしげ 見てくれに 似合わずこなす スマホにパソコン
 


(以下、状況報告追加)
わが家では、コロナ禍騒ぎになってからほとんどひと月に数回しか外出しない月日を過ごして来た。その間の生活の変化の大きなことは、私が食事の準備など台所仕事をかなりするようになったことである。

私が家でいままで家事でしていたのは、毎日の朝の布団上げ、夜の布団敷き、ゴミが溜まったらゴミごとの指定日の朝500mくらい離れた県道横のゴミステーションに車でゴミ出しに行くこと、夕方は毎日浴槽を掃除し湯を張ること、乾燥する季節には定期的にする加湿器の掃除くらいだった。

昨年後半、私が食事管理にこだわるようになってからは妻が献立を考えるのに合わせ、私が毎食のカロリーと塩分などの計算をし必要なときは加減をフィードバックするようにしていた。何ヶ月かそういう状態が続いたのだが、妻に毎日栄養価を気にしながら献立を考える負担を強いて来た感がある。それに気づいてから、定番的な毎日の朝食について私が先に着手できるときは最低でも30%くらいは準備をするようになった。また昼と夜は食器類の準備と定番的な食べ物あるいはこれと事前に分かっている食べ物について私が準備しておくことが多くなった。

そういう生活パターンになって妻の苦労を改めて知ったわけだが、、かなりの時間台所仕事にとられて、読書する時間、パソコンで情報を見たりホームページの記事を作成する時間、ウィンドシンセサイザーを吹いて頭と手指などを働かして楽しむ時間、そして録画したテレビ番組を見る時間、その他ぼけっとしている時間などがかなりしわ寄せされた感がある。

そして時にはそういう時間にとらわれず必要時に庭の芝刈りや木の剪定やペンキなどの家の軽い補修などをする必要も出て来るのだが、年をとったからか常にどこかしら身体が痛かったり、坐骨神経痛か腰から足まで痛くて足を引きずらなければいけないときもあって、大きな枝切りの際初めて集落の高齢者向けボランティア活動のお世話になったこともあった。

身体の痛みなどを我慢して自分で剪定作業をしたときには、手指がこわばって機械の操作が思うようにいかず怪我をしてしまった。わが家では妻は高齢者、私は後期高齢者なのだが、今年初めて10月ころから三回にわたって集落の高齢者見守り隊などの訪問を受け、特に生活に支障はない旨応答した。12月に入って見たテレビ番組で、支援の手が届かない高齢の夫婦ふたりの家庭で動けない妻を介護していた夫が疲れ果てて心中を図ったのだが、高齢者家庭でも夫婦ふたりの家は支援対象になっていないのが問題かもという指摘がなされていた。そういう報道を見かけたとき、わが集落では夫婦ふたりの家も見守ってくれていると思って心強く思った次第である。


補足: 年賀状マウント_年末挨拶状が似たように思われたかも
2022.12.16
今日ネットを見ていたら「年賀状マウント」と題する記事があった。例えば自分の豪邸、高価な持ち物、家族・子どもの派手な祝い事写真などや相手より自分が上だと言うがごとき記述その他ひとが自慢げととってしまう内容を載せた年賀状を出すと、それを意識していなくても上目線でマウントを取りに来ているなととられ嫌われ以後避けられることがあるということである。本文写真中の100点だったという記述も止めた方がよかったようである。出した相手の中にその後便りが来なくなったひとがいるのだが、それが原因だったのではないかと思われる。


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