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  たわごと編: No.402  
  2017.05.15 安倍首相憲法改正メッセージに関する感想  
 
  安倍首相(自民党総裁)は5月3日改憲派が開いた集会にビデオメッセージを寄せた。その中で9条について触れていたが、多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲とする議論が今なお存在するが、かれらの現実対応としては自衛隊は違憲かもしれないが何かあれば命を張って守ってくれという態度である。それは無責任だから、1項、2項を残しつつ自衛隊を明文で書き込むことを国民的に議論したらどうか、と言っていたようである。

いまの日本で自衛隊を解散させることには無理であるとほとんどの国民は分かっている。自衛隊は憲法違反だと言っている連中が9条改正にも反対している。しかしそのかれらでも自衛隊の存在は認めるしかないという現実はあるわけである。それなら憲法で自衛隊を認めればかれらの矛盾は解消されるわけである。戦争は嫌だから戦争をすることは認めたくないと言っているだけでは戦争を止めることはできない。

いまの憲法は占領下でつくられたもので独立前に改正することが暗黙の了解だったらしいのだが、アメリカの軍事力の下で経済発展を図ることに溺れて独立国憲法に改正して来なかった。そして憲法解釈で自衛隊は自衛のための合憲の実力組織ということになり、9条改正は必要ないという国民理解を生んでしまった。実際的にはいま憲法を改正しようがすまいが集団自衛権まで可能な憲法解釈下では、アメリカ軍とのいまの関係下で日本の戦争抑止力に影響はないと思われる。しかし自衛隊の明文化は言葉上での現実離れの違憲合憲論議に終止符を打つことが出来ると思われる。

いまは護憲の一大勢力の共産党は憲法通りの政治をと主張しているが、自衛隊については違憲だが国民がもう自衛隊は必要ないと判断する時までは残すとか、いざとなったら自衛隊を活用するというようなことも言って、違憲状態の恒久化みたいな矛盾したことを言っている。護憲の一大勢力にしてこれだから、かれらの主張は破綻しているということになるわけである。

私は、安倍首相のメッセージはいくら護憲勢力の矛盾を指摘しても彼らは理解しないから、彼らの言い分を明文化することによって文句を言っているだけでは済まない状況を作っていくことを意図しているのではないかという見方をしている。いくら言っても分からないものに、その言っている通りになることすなわち合憲でいざとなればいつでも使える自衛隊にしてあげると言い出したと見るわけである。そしてそれは世界情勢を俯瞰しての深慮遠謀から出ているのかも知れない。

補足1: 
現行法を超える発議は立法府の責任
No.398のなかで私は共謀の定義があいまいとか従来の刑法学の基本的考え方から外れるという指摘に対しては国会で具体的論議を尽くし、また新たな刑法の考え方を国会で構築すればよい、と言っている。私は憲法についても国会で新たな内容であれ審議し発議すればよいと思っている。行政は既存の憲法と法律の下にあるわけだから法律の枠を超えることは出来ない。一方行政の任にないものが、現行の憲法や法律にそぐわないという理由で新たな憲法や法律の論議を批判するのもおかしい。国会は行政府ではなく立法府である。法の体系を変革するとか、憲法を変える発議は国会しか出来ないわけである。発議を渋る勢力は国民がどうのこうのと理由をつけるが、国民の代表として必要と思ったら発議すればよいわけである。国民はその適否を判断するのだから、国会は国の唯一の立法府として現行の憲法や法律を盾にして論議を避ける必要はない。いろいろな案が出るだろうが、現行憲法と法律にそぐわないことを理由に論議しないのではなく、反対なら自分が思う理由を明らかにして論議しなくてはならない。そしてそのプロセスは現行憲法で保証されているわけである。私はそう思っている。

補足2: 
反対勢力の課題
民主国家では多数決でものが決まる。少数派の意見が通るとすればその主張に多数派が納得しそれを採用したときである。そして少数派は多数決で決まるということは黙っていれば多数派の意見が通るということは承知の上である。そうであるから少数派の課題ははっきりしている。反対のための反対や批判では多数派を納得させることは出来ない。多数派に少数派の意見を納得させ取り入れさせることが必要なのである。少数派にそういう議論に耐えうる代替案の構築とそれを納得させる説得力があるかどうかが問題なのである。

補足3: 
国民が望んでいないと言うひと
2017.10.07
衆議院議員選挙の公示日が近づいてきた最近のある日、テレビで各党のメンバーが出て意見を言い合う番組を見た。憲法改正の話題になったときある党から立候補する予定らしいひと(例えば辻元清美氏)が国民は望んでいないと改正に否定的な態度だった。私は望んでいないというのはそう言う本人の意見なのに、私を含めた大多数の国民がと言う感じでそう言ってしまうところに違和感を感じた。誰がということをあいまいにして国民が望んでいないと言って他の勢力の口封じをしようとしていた印象である。

そもそも国民から負託を受けたのが国会議員なのだから、憲法改正の発議についても負託を受けているわけである。少数の議員あるいは党は国民の負託を受けている割合が多数の議員あるいは党より少ない。それなのに少数の議員あるいは党への負託をもって国民が望んでいないというのは理屈にはならない。私なら多数の議員あるいは党が改正を目指しているならば、多数の議員あるいは党に発議することを国民は負託したと理解する。

憲法改正発議は国会でしかできないのだから、国民から負託を受けた多数の国会議員が改正が必要と判断したら発議してよいわけである。しかし国民の負託を受けた多数議員が発議し採決したとしても、彼らが発議し採決した改正案が国民が望んでいるものであるということにはならない。憲法改正案は負託を受けた国会議員の意見であって、普通の法律のように採決結果の改正案施行まで国会議員に負託されているわけではないからである。だから国民が望んでいるかどうか確認するために国民投票があるわけである。そこで国民が望んでいるかいないか分かるわけである。

(付)別件であるが、もう一つ気になっていることがある。よく野党がある法案は憲法違反だと反対することがある。現実に対処すべき課題に対する法案が憲法の考え方に違反しているからというだけで反対するのには違和感がある。憲法を放念して現実に対処するのにその法案が必要かどうかまず判断することが必要である。必要だと思ったあとで憲法に照らし憲法に抵触すると思うならその法案が憲法違反にならないように憲法改正を提案する必要がある。それが憲法改正発議は立法府たる国会がすることになっている最大の理由だと思ってる。


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