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  たわごと編: No.291  
  2015.07.05 報道機関批判も報道機関を介するしかない矛盾  
 
  私は気に食わないからといって報道機関に対して政治家がその権力で圧力を加えるようなことはすべきでないということについては異存はない。しかし政治家が報道あるいは報道機関の振る舞いについて疑問や批判を呈することにも否定的だというわけではない。先週自民党若手勉強会で報道機関を抑えつけるかのような発言があったとして自民党あるいは同党若手勉強会参加者を問題視する報道や国会での追求がなされているが、以下はその状況を見ていての報道の自由とか言論の自由とかと報道機関あるいは私たちとの関わりについての感想である。

自民党などの責任追及論議は別にして報道機関などの主な言い分は、大切なのは例えば安保法制に批判的な報道を規制・排除することではなく、法案の意義と必要性を国民に分かりやすく訴えることだということである。私は、法案の意義と必要性は報道機関を通して国民に伝わることになっていると思っている。しかし報道機関には分かりやすく伝える努力をしていないところが多い。まず報道機関の機関決定のような思想・見解があってそれに従って批判的な報道をしているような印象がある。報道機関を批判し政治的圧力行使も対抗手段だというようなことは政治家としては言うべき言葉ではない。それははっきり言っておいた上で、私は報道機関にもそのいわゆる報道姿勢が問題を誘発している側面があると思っている。以前何かの事件の犯人と思しき人が書いたという川柳に言う付け火して煙喜ぶ愚か者の一面があると思うのである。

憲法では思想及び良心の自由は、これを侵してはならないとしているが、これを報道機関が機関決定で所属する従業員個人の自由を抑圧する権利と間違って解釈しているという見方がある。新聞社や放送局のような報道機関に言論・報道の自由はない。本来、報道機関を介して言論を為す従業員や寄稿者・発言者個人に言論・報道の自由があるというわけである。報道機関のいう報道の自由とはその前提のもとに存在するとされている自由であると思われる。そしてそうであるべきなのに、日本の報道の大部分は報道機関を名乗る顔と名前に実体がないような何者かによってなされているのが現実である。

その実体のない何者かのような報道機関の機関決定で偏向しているかもしれない報道の受け手や被報道者である誰もに新聞社や放送局のような報道機関を批判する自由がなければ世の中は報道機関の言いなりである。報道機関が自らへの批判を封じ報道の自由ばかり主張することは自分都合による言論統制ということになってしまうわけである。政治的に報道機関を弾圧することは許されないが、一方的に大量に垂れ流す報道に対してなされる批判に一方的に大量な反論を垂れ流す報道で対抗しそれが世論だと強弁するのもおかしなはなしなのである。またその結果としてなされる感もある国会での野党の追求とは報道機関に対する批判を世論にかこつけて監視対象の政治を利用して抑圧しようとする矛盾した作用でもあるのだが、報道機関にはその自覚もないようである。

報道機関あるいはその思いが常に正しいという保証はないわけである。報道機関が一方的に大量に発信しているいることが世論ではないし、報道機関がその意に添うよう煽った意見が世論でもない。報道機関にはその機関決定の思想・見解に合わせて事実を捏造したり曲解したりしてそれを大々的に報道するようなことをやってきた過去がある。論拠には従軍慰安婦問題で慰安婦の被害をでっち上げたという一例を挙げれば十分である。そして自分たちの思想・見解に沿った騒ぎを起こしてその騒ぎをまた騒ぎたい。そういう報道機関がないという証明は難しい。私が報道機関について付け火して煙喜ぶ愚か者の一面を指摘する所以である。

そうであるから、言論・報道の自由というのは反面で、われわれは付け火かどうかよく見極める責任あるいは義務も負っているということである。報道機関も付け火でない報道をする責任・義務があるのだが、それには署名記事のようなクレジットのついた報道にするのがよいと思われる。記事なら署名記者や寄稿者や編集者、番組なら自分の意見を述べる発言者や製作者のような人たちは名を表に出し報道についての直接的責任を負うべきである。また報道機関の何者かが記者その他に特定の思想・見解に沿う報道を強制する体制をチェックする何らかの工夫や雇用形態の変更も必要であると思われる。

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  No.290  安保法制論議_違憲・合憲論議に関心はない  (2015.06.29)
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